12月14日は衆議院選挙。これを心底「どうでもいい」と思っている人ばかりでもなさそうだが・・・というのが私の感じている今の空気。実際はどうなんだろうか。
同時に、一体誰に投票すべきか、どの政党に投票すべきか、本気で答えが出せないという人もかなりの数にのぼると思われる。言うまでもなくそれは、誰にするかを迷ってしまうなどといった幸せな悩みでは断じてなく、マトモなのが一人もいない、マトモな政党が一つもない、でも棄権するのは一般論として正しくなさそうだし・・・という閉塞感(絶望感?)に満ちた苦悩に違いない。
私自身も、結論から先に言うと、今この瞬間もどうすべきなのか答えが出せず、期日前投票にも行かず、部屋の片隅に無造作に置かれた投票所の入場はがきを、時おり忌々しい気持ちで眺めている状況である。
今回の選挙の論点は比較的分かりやすいと思う。しかし、それは論点であっても「争点」とは表現しづらいところにタチの悪さがある。何しろ、肝心な問題点、論点において、戦わされて然るべき議論は全くなされていないに等しく、自民党から共産党まで、徹頭徹尾、ことの本質に踏み込むのを避け、逃げ回り、実際にどうするかという具体的な方向性は一切示さず、日本語としても意味を成さない雰囲気的コピー(スローガンとさえ言えない代物・・・)を並べて、まず誰も反対しようのない「総論」みたいなものを、ただ印刷しては配っているだけである。どれくらい下らないか、ちょっと並べてみよう。
復興加速化と東北創生、年金医療福祉の充実、確実な経済成長の実現、農林水産業の振興促進(ここまでは自民党候補)
国民生活に十分留意した柔軟な金融政策、生活の不安を希望に変える人への投資、未来につながる成長戦略(これらは民主党)
こんなに漠然としたお題目に正面切って反対する人、反対する団体等というものがあるというのなら、その理屈とやらを聞いてみたいものである。もともと理屈のない、中身のないお題目に、論理的な論評を加えることなど始めからできない相談なのだから。
増税はしないと言って政権の座に着いた民主党が、その党首が命をかけて?実現したのが消費増税。つまり、マニフェストだの公約だのといった物は、言うだけタダなので言ってみただけですよってことなのだと、国民は身をもって学習させられた。生まれつき、自民党と特別違う点があるわけでもないのに、さも違うかのように一芝居打ってみただけだったのさと。
取って代わった自民党は、選挙の間は「原発依存からの脱却」みたいなことを言うが、もちろんそれはずっと先の未来の誰かがそうせざるを得なくなるだろうという必然性を語ってみただけのことで、今現在の為政者として、(調子に乗ってやり過ぎて引っ込みのつかなくなった)原発からの撤退などという大仕事を始めようなんて物好きは党内に数名しかいませんし、田舎者(の有権者)は田舎者らしく黙ってもらう物貰ったら小賢しいこと言うもんじゃないぞ!というのが同党の大方針であることは、九電川内原発の地元同意手続き(という名の旧態依然問答無用押し付け方式)によって実証済み。
どいつもこいつも、口で言ったことと行動がバラバラであっても、「それの何が悪い?」「世の中そういうものなんだよ」と心の底から思っているわけだから、話にならない。
現状において、一体どこの誰がそれほど高い内閣支持率をたたき出しているのか、私の周囲をいくら見渡してみても、それと思しき該当者を見かけたことはないのだが、固定電話宛てにランダムに電話してみて、真昼間から家にいて、一文の得にもならない下らない誘導質問に最後まで付き合って「有効回答」にカウントされる有権者というのが、どういう人種に偏るかぐらいは誰でも想像がつく。よって、まあ、そういう人種が支持しているのだろう。
ある政治学者は、何年経っても、何が起こっても、一向に動き出す意思も気概も感じられない政治を長年見てきた後で、ことほど左様に次から次に物議をかもす事案についての決定や方針大転換をやってのけた安倍晋三を見た人の中には、「目に見える動き」自体を評価しようじゃないかという感想を持つに至った向きも少なくないのではないかと分析していた。
なるほど、言われてみればその通りかもしれない。口で言ったことはさっぱり実現できず、あるいは実行しようとせず、しないやらないと言った事だけを騙し討ち的に強行してしまった民主党の記憶も新しい今、次から次に前例踏襲をかなぐり捨てて「何だか分からないけれど」何かやってくれてるようであったり、「よく分からない目新しい言葉」を連発しては、「これしかない」「この道しかない」とその理由を一切省略して断言する様は、ある種の爽快感をもって受け止められている可能性もありそうではないか。特に、黙って俺について来い!がお好きなパターナリズム信奉者にとっては、頼もしい首相であろう。
しかし、実際に安倍晋三がやっていることというのは、古い世代の政治家がやりたくてもさすがに出来なかった妄想の実現(集団的自衛権容認による解釈改憲とか、のちの歴史家の評価をさえ回避する奇怪なルールに特徴付けられた特定秘密保護法とか)であったり、そんなことをして「それでその先一体どうなるの?」という問いに対して全く答えられないような冒険的実験(アベノミクスとか)であったり、一つ一つは何だかあまりに通俗的で、愚昧ですらあったりする。
私の目には、おおよそ新橋のガード下で酔っ払って放言するおっさんが広げる大風呂敷とさして変わらない様なことを、「次々に」「スピーディに」「問答無用に」行っているだけのように見えて、少なくとも人並み以上の頭脳や才覚がなければ出来ないよなあ・・・といった尊敬の念を抱かせるようなものでは、残念ながら全然ないのである。
「政治はモメンタム(勢い?)だ!」と言って憚らない安倍晋三は、大変正直な人だという証左の一例だといわれれば、そうですよねと応じたくもなる。
前述の政治学者は、政党はその支持者に都合の良いことを政策的に実現するものだという当たり前の事実を良く認識するよう薦めていた。選挙民は、自分が投票しようとする政党や政治家が、選挙民自身の利益を最大化する上で都合の良い政策を実現してくれるかどうかで、一票を投じるに値するかを考えればよいのであって、実際にやらせてみて自分にとって都合の良くない政策ばかりを進めるようであれば、そうではない政党や政治家に取り替えるような投票行動をとればよい。選挙が民主的かつ公正に行われる限り(しかし孫崎亨氏のように、この点についてさえ種々のデータから疑義を訴える人たちも多い点には注意を要する)、投票行動に関する決断は、誰に相談するまでもなく、各自が自分の頭で考えるだけで解決できる簡単な作業ではないかと指摘していた。まったくその通りである。
それだけに、一体どこの誰が安倍晋三政権をこれ程までに支持しているのかが、私には心底不思議でならないのである。
安倍晋三が進める政策は、それこそ今すでに相当恵まれたポジションにあって「困っていない人」が、さしたる努力をしなくても今後引き続き安定してその地位を保持できるように、下々の人々が這い上がってきて彼らの地位を脅かすことがないように、現時点での階層構造を固定化するというビジョンの下、それが露骨にバレないようにあの手この手でもっともらしくカムフラージュするという本質を有する。
そして、あまりに当たり前だけれど大事なポイントをもう一つ。ここで言う「困っていない人」とは、「恵まれた」「少数者」だということ。ほんの一握りの、究極のマイノリティだから、該当者を探すのは本来容易でないということ。安倍晋三を支持する「多数派」とは、論理的に重複出来ないのである。
だから(こんなことを公言すると嫌われるから普通は言わないのだろうけれど)、私の知る「恵まれた人」「困っていない人」たちは異口同音に、「(そうすることで自分の立場が益々苦しくなるはずの人たちほど、むしろ嬉々として安倍晋三を支持するというのは)本気なのかね?」と声を潜めて、憐れむかのように薄笑いするのである。
そこで私が最近思いついたのは、安倍晋三的な政治や政策を支持することによって、その政治や政策が想定するところの「受益者」(上記の「恵まれた人」「困っていない人」)の仲間入りが出来る(?)とか、支持すればその政策の目指す恩恵にあずかれるような自分になれる(?)といった、「倒錯した心理」のようなものが蔓延しているのではないかという奇怪な仮説である。
始めのうちこそ、自分で思いついておいて「まさか、そんなことは・・・」と半信半疑だったのだが、今回の選挙の情勢報道を見るにつけ、その「まさか」こそが案の定真実だったのではないかと、子供がくじやクイズを当てたかの如き無邪気な高揚感を味わっている・・・なんて白状したら、お前こそが「倒錯している」と言われるのが落ちなので、やめておくことにしようと思う。
政党は支持者に都合のいいような政治をする。有権者は自分に最も有利な政治をやってくれる政党に一票を投じる。これが全てである。
既得権を固定化する政治を目指す政党や政治家に一票を投じたからといって、今現在既得権者でも何でもない人が選挙後に既得権者の仲間入りを果たせるなんて奇跡は絶対に起こらないのだということを、馬鹿馬鹿しいのを承知で、あえて念押ししておきたいと思う。
とまあ、いろいろ書き並べてみたが、結局のところ、自民党から共産党まで、唯の一つも共感しうる政党は見つからないという結論に変わりはない。だからといってふてくされて棄権するというのでは、たとえば宮城一区で民主と維新が選挙協力するという状況で、維新は嫌だからという理由から(維新は嫌だなんて、自分だけの特別な感覚みたいに言ってる時点で気に食わない。誰だって嫌だよ、いまさら落ち目の維新と一緒にされるなんてさ!)独自候補を立てた結果、自民の暴走に対してとりあえず抑止力は必要だと割り切って考えるような層の票を割って死に票を増やしたとしても、それは仕方がない!(~しかない!論法の典型)と立派な独善的ご英断を下した社民党あたりと共通のメンタリティだってことになりかねず、それはあまりに不本意だし・・・ああ、ほんとにどうしたらいいんだろう???
ピンバック: 「選挙だけれど・・・」を掲載 - あおぞら動物医院