健太くんは生後8か月で先天性の重度間質性腎臓病が判明し、確定診断のために紹介受診した大学の腎臓内科では、文字通り「言葉をなくすような」厳しい余命の見通しが示されました。
この診断時点では元気も食欲もあり、飼い主さんのみならず、一次診療医である私にとってさえ、何かの間違いではないかと思わずにいられない結果でしたが、大学からの検査報告書の内容は、まぎれもなく終末期腎不全のそれを支持する所見ばかり。
現代西洋医学においても、一旦病態が出来上がってしまった腎臓病の場合、根治的な治療はおろか、進行を効果的に抑制する方法も確立されておらず、人医領域でも人工透析に頼らざるを得ない状況のまま、年来の足踏みを余儀なくされています。
加えて、腎臓という臓器の奇跡的に緻密で微細な解剖学的構造ゆえに、近年その成果に期待が集まる再生医療の分野においても、「三次元的ナノテクノロジーの実現が前提」といわれる技術開発の難易度が高すぎるため、腎臓への適用は実用化の目途がまったく立っておりません。
あまりに若い健太くんに有効な可能性のある治療を検討するにあたり、「生体は不可分の有機的な総体である」と捉える「整体観」を重視することにしました。
整体観は伝統東洋医学(中医学)の核心をなす概念で、近代西洋医学の「還元主義」(生体を細分化して分析すれば、その結果を再び足し合わせることで元々の生体全体も理解できるという考え方)と最も対照的な部分。
上述した通り、あまりに若い健太くんなので、腎臓以外の身体的機能には、極めて高い予備能力が備わっていることが予想されます。その予備能力を総動員する方法として、整体観に基づく伝統東洋医学的なアプローチは優位性が高いと考えられました。
以来、漢方を用いた伝統東洋医学的な治療を軸に、血中リン低減のための西洋医学的手法なども併用し、飼い主さんの精密な健康管理によって良好な身体状況を保つに至りました。
その健太くんも、まもなく満二歳。当初の余命宣告からは想像もつかない時間が過ぎ去る中で、徐々に腎臓病の状態が厳しくなってきました。しかし、健太くんの生来の明るい気質が病魔を抑制する「整体観的な闘い」が途絶えることはなく、ご家族の深い愛情に守られて、一日一日を力強く生き抜いてゆく姿には、深い感動を禁じ得ません。