日曜の診療をお休みさせていただき、アレルギーの学会に参加してきました。
アレルギーという言葉は、ヒトの医学においても頻繁に使われ、飼い主さんご自身がなにがしかのアレルギー持ちであると診断されているケースも多いことから、医学用語としての正確な定義とは別に、日常会話の中にも浸透している「一般用語」として比喩的に用いられるケース(「数学アレルギー」とか)が非常に多い単語です。
ところが、本来、学問的な正確さに基いて使われなければならない場であるはずの医療、獣医療の場においてさえ、なにやら一般用語というか、文学的な用いられ方をしている単語の代表が「アレルギー」だという困った実情もあります。ある症状に対して、理詰めでその根拠を明らかにした末の「診断名」としての「アレルギー」なのか、なんだか良く分からないがステロイドに反応するからという程度の軽~いノリでつぶやかれた「アレルギー」なのか、後からよくよく経緯を確かめてみても、飼い主さんはもちろん、獣医である私にも判然としない「アレルギー」というのが少なからず存在し、その「アレルギー」が独り歩きするのに飼い主さんが何年間も振り回されてきたケースというものに、時折遭遇します。
アトピー、アレルギー、食物不耐症、アナフィラキシー、過敏症、食物有害反応・・・この類の用語には、一つ一つ定義があり、厳密に区別されないといけません。それがあやふやだとすれば、当該用語を用いた診断自体もまたあやふやなものだといわざるを得ません。しかしまた厄介なことに、その学界における定義自体がしばしば変遷するという事情もあって、医師や獣医師など、当然専門家だと思われているような人種にとっても、実は正確に整理された状態でアタマの引き出しにしまっておくことは、必ずしも簡単なことだとはいえない面もあるのです。
たとえば今回の会合でも、学会が提唱する「徴候におけるアトピー性皮膚炎の定義」の中に「犬アトピー性皮膚炎(CAD)と食物アレルギー(FA)を鑑別するための補助情報」なる小項目が存在する部分をめぐって、会場の参加者が学会側に対して再説明を求める一幕もありました。解説としては、単に皮膚症状としての「Atopic Dermatitis in dogs」と、ヒトのアトピー性皮膚炎に類似するIgE依存性疾患名としての「Canine Atopic Dermatitis(CAD)」を、なるべく語弊なく日本語に移転するためには、こうするのが妥当であるという現時点での結論から生じた「そっくりさん」用語であるということ。確かに、紛らわしいこと甚だしいわけです。
そんなこんなで、ヒトの医学領域で問題点として指摘されている以上に、獣医学領域においては定義があいまいなままに「アトピー」や「アレルギー」を冠する診断が、どうも「過剰に」くだされているのではとの懸念が久しく言われ続け、今日にに至っているわけです。
こうした事情が関係しているのでしょうか、日常の診療の場で最もよく登場する医学用語の一つが「アレルギー」である割には、アレルギーや免疫に関する学問的理解や議論を深めようという場の話になると、途端に人気のないセミナーなり会議なりに転落してしまうのですから、これがまさに比喩的用法での「アレルギー」アレルギー(?)というやつなのかもしれません。もちろん、そんなことでは患者さんや飼い主さんもたまったものじゃありませんから、我々獣医師も、手掛け難いという意識を払拭するべく、博物学的な用語や名称が飛び交う(サイトカインやレセプターの名称は相当にとっつきにくい)免疫学的空間に果敢に身を投じよう!という努力の一端が、たとえば今回の学会みたいなものへの参加だったりするわけです。他のいくつもの面白そうな学会と開催日が重なった割には、結構な数の獣医師が早朝から集まっていました。
そもそも、この分野はまだまだ事象ないし現象の本質が未解明である点も多く、たとえば犬の食物アレルギーひとつとっても、一体イヌのどこでどのように感作されるのかについて自体、実はあまり良く分かっていないため、それについて厳密な議論を始めようとすると「ところで、これって本当にヒトで言うところの食物アレルギーとおんなじものだと言い切っていいんですかね?」的なそもそも論がたやすく湧き出してしまう素地が多分に存在しているなど、煮ても焼いても食えないような分野だと言えなくもないのです。ましてや、猫にいたっては、犬に比しても「ほとんど何も分かっていない」状態にもかかわらず、様々な病態に対して「アレルギー」という単語をくっつけて会話を成り立たせてしまっているのですから、ちょっと踏み込んだ途端、ボロが出てくる議論の脆弱さと一体の「アレルギー」だと言えましょう。
私個人の関心としては、本来毒でもないはずの食べ物を、なぜこれほど広範に「食べてはいけない」ものとしてあぶりだす結果になったのか?という時点で、いわゆる「アレルゲン検査」の類で「食べられるものはありません」的な全滅症例が頻発する現状は、どこかもっと根本的な部分でボタンの掛け違いがあるのではないかと、常々不思議に感じています。
動物が自分で「何を食べるか?」「何を食べていいのか?」については、普通に考えて、最も生物学的かつ本能的に「知っている」べき知見であるはずなのに、動物の中でもいちばん頭がいいということになっている人間様が、実は何を食べるべきか(何を食べるのが健康維持の理にかなっているのか)についての「定見」を持ち合わせていない様に見える現実があり、そして実際ヒトが健康の維持に苦心惨憺している現実もあり、しかも、その人間様と深く付き合うことになった動物(ペットはその筆頭格)ほど、野生動物に比べ、なんだかヒトで見たような健康問題を抱えてしまっている現実というものを日々見続けている立場の身としては、不都合な症状の数々を片っ端から「アレルギー」として理解してしまう(片付けてしまう)風潮に、なんだか釈然としないものを禁じ得ません。
アレルギー学会での活発な議論を聞きながら、今現在「アレルギー」と考えられている部分の中から、近い将来、「それは全くの誤解であった」的などんでん返しが出てくる余地は決して小さく無いだろうなと感じた私は、とりあえず現在の常識からすると「異端」の部類なんだろうかなどと思いながら、会場を後にしました。
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