野中広務の中国訪問

野中広務が訪中し、田中角栄が「尖閣棚上げで国交正常化する」と言ったのを自分は確かに聞いた生き証人だと、

発言したそうだ。「尖閣棚上げ・田中首相に聞いた。私が生き証人」

 

そりゃそうだろう。それ以外に日中国交回復から現在に至る経緯を現実たらしめる「起点」はない。

しかし、それだと「領土問題は存在しない」という荒唐無稽な主張と整合性を欠くから、

棚上げなど知らぬ存ぜぬという政府答弁を繰り返すのみ。

 

どうしてそんな馬鹿げたことを言い募るのか。自分の意思でそうするには、相応の信念なり信条が無くて

はならないし、それが無いならまさに奇行。にもかかわらず、一度たりともそれらしい教条にお目にかかったことも無い。

何しろ、普通に考えて、日中間に「領土問題は存在しない」と思っている人などどこにもいないし、

政治家の間からでさえ、そんな言い草は他人を小馬鹿にしているように取られるから、やめた方がいいのではないかと

いう意見がたびたび出てくる。

 

しかし、現実は、その常識に基づいた「バカらしさ」をはるかに超越したかのようなふてぶてしさで、

「領土問題は存在しない」を唱え続けている。日本にそこまでの意思や気概があったら、そもそもこんなことにはならなかった

はず故に、他者の存在、他者の意思を憶測するのは自然なことであろう。

 

思えば、似たような話は他にもいろいろある。

 

「原発は絶対安全」だが、非常に危険なので東京には建設しない。

「原発停止で大停電」と自国民を恫喝しながら、IOCには東京の電力は有り余っているので大丈夫と報告。

「オスプレイは安全」だが、あまりに危険で米国民の同意は得られないので、属国上空で訓練する。

「財政は破綻寸前だから増税は不可避」だけど、巨額の似非海外援助は今まで通り行います、等々。

 

言葉が通じる年齢なら、子供でも変だと思うような屁理屈を、国民を代表するような立場の大人が

平然と繰り返し唱える。

論理的に考えて、それがおかしいと分からないはずもなかろうに、それを「おかしい」とは言わない社会。

慣れちゃった、麻痺しちゃった・・・で済む問題ではない。

 

領土の問題は、それを主張する国の数だけ「正義」がある。

どこまで議論しても、正義はずっと正義だから変わりようが無い。

だから、本気で解決する(手打ちにする)つもりがあるのなら、妥協と譲歩以外に道は無く、それが難しいから、

各自の正義を引っ込めないままに「棚上げ」しましょうというのが通常選択される知恵というもの。

知恵だから、当事者全員が「俺は正しい」と思っていてもかまわないし、

相手がどう思おうが知ったことではないので、いちいち干渉もしない。

 

ところが、実際にはそのような手垢のついた普通の知恵に、頑として気づかないフリをし続けている。

 

本気で解決したくないか、本気で解決なんかするなよと、誰かから言い含められているかのようだ。

日本は、ご近所と常に仲たがいするように、ずうっと昔からしつけられてきた。

日本という国土を背負って、気に食わない隣人たちの顔を見ないで済むどこかずっと遠くへ引っ越せるわけでも無いというのに、

明けても暮れても、中国が悪い、韓国は生意気だ、北朝鮮は気が狂っている、ロシアは無法者だと、

この広い世界の中に在りながら、自分の隣にいる、目と鼻の先の面々に向かってだけ口汚くののしる様は、傍から見れば

「どこの団地にも必ず一人はいる鼻つまみ者」

のようにしか見えないだろう。ところがそれに、一向に気づかない。気づかないかのように振舞うことこそ、

ご主人様のおめがねに適うからそうするのだとしか説明のしようが無いと、野中広務も言っているわけである。