あおぞら診療日記「鈴ちゃん」

鈴ちゃんは三年ちょっと前、血尿を伴う膀胱炎様の症状に見舞われました。西洋医学的な定石に従った抗菌薬を主軸とする治療の結果、ほどなく回復しました。ただ、検尿所見においては潜血と尿のアルカリ化が継続し、尿サンプル中に鏡検的な結晶の析出も認められました。

鈴ちゃんはキャラクター的な線の細さがあり、ご家族以外の人間に対してかなり緊張する傾向があります。尿路疾患の重症化で入院加療が必要になった場合、様々な困難が予想されました。小さくない確率で症状の再発が見込まれる西洋医学的な「逐次対症療法」より、さらに高い次元での小康を得ることを目標に、中医学的を用いた体質レベルでの未病化を図る「養生療法」の提案を行いました。

鈴ちゃんのわずかな変化も見逃さないオーナーさんの日常観察により、中医学的な漢方療法はその効果を遺憾なく発揮。処方や用量の臨機応変な調整を経て、最終的には極めてコンパクトな単処方のみでの無症候化を実現。尿を酸性化させるために汎用される制限食(尿石症療法食)も用いず、食事は慣れた普通のフードのまま。四季を通じて再発に悩まされることのない平穏な生活を送ることができています。

 

 

====================命はもともと自立的=====================
病気になったとき、それを治すとはどういうことでしょうか。
たとえば胃に炎症が生じて食欲がなくなったときに飲む胃薬。
炎症で傷んだ胃粘膜を様々な機序を介して修復することを助けますが、
飲んだ胃薬そのものが胃の中で「正常な胃粘膜」に変身したり、置き換わることは出来ません。
炎症で壊れた胃粘膜も始めはそうであったように、
損傷部を修復するために新調される胃粘膜もまた「身体」が作ってくれます。
繰り返しますが、胃薬は修復の過程を助けるのであって、
飲んだ薬自体が胃粘膜に成り代わって胃の中に存在し続ける訳ではありません。
傷んだ身体(の一部分)を元通りに直すのは例外なく身体自体の営みで、
治療はそれを促したり、邪魔する要因を取り除くだけです。
つまり、命は本来自立的であるということ。それに寄り添うのが治療者の役目。
動物にその自覚を求めるのは無理としても、われわれ獣医療者はもちろん、
飼い主さんにとってもこの深淵なる原理への理解は意義深いでしょう。
命が自立的であることへの理解を(無意識的な場合も含めて)深めた飼い主さんが、
最愛の動物を健やかな状態に保つことに成功している様子は、
獣医師の私にいつも清々しい感動を与えてくれます。
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