あおぞら診療日記「福太郎くん」

福太郎くんはいつも元気で大きな病気をしたこともない健康優良児。とはいえ、世間のワンちゃんが一様に抱える小さなトラブルに、福太郎くんだけが全く見舞われないという訳にも行きません。そこを何とか回避したい飼い主さんは、たとえば耳のお手入れをしてあげようと一生懸命に福太郎くんに向き合うのですが、この「愛」はすんなり行かないこともしばしば。なにしろ飼い主さんの愛情に一片の疑いも持っていない福太郎くんですから、気分が乗らないと結構強気のスタンスで嫌々モードに突入し、飼い主さんを悩ませちゃったりします。

しかし、そこは何といっても飼い主さんの「愛」ですから不屈。めげず、くじけず、根気強く、当院の助言を着実に実行してくださった結果、強気一徹・福太郎くんの嫌々モードも次第に影が薄くなり、いまではたまに耳の状態チェックに連れられてくる福太郎くんが即座に「要加療」と診断されることもなくなりました。

この経緯を、やれば出来る!的な根性論とみる素直な見方もなくは無いでしょう。でも、日々ペットと飼い主さんの関係性を目の当たりにする臨床獣医師の立場からは、ヒトである飼い主さんの思いは、動物であるペットに必ず伝わるものだという実例のように見えます。言語によるコミュニケーションに依存するわれわれ人間が忘れてしまった、相手の「思い」を言語化せずに直接読み取る力を、たぶん犬や猫たちは当たり前に持ち合わせていて、だからペットへ向かう飼い主さんの「愛」は必ず報われるのだなと、福太郎くんの変化を見るたびに納得させられるのです。

 

====================命はもともと自立的=====================
病気になったとき、それを治すとはどういうことでしょうか。
たとえば胃に炎症が生じて食欲がなくなったときに飲む胃薬。
炎症で傷んだ胃粘膜を様々な機序を介して修復することを助けますが、
飲んだ胃薬そのものが胃の中で「正常な胃粘膜」に変身したり、置き換わることは出来ません。
炎症で壊れた胃粘膜も始めはそうであったように、
損傷部を修復するために新調される胃粘膜もまた「身体」が作ってくれます。
繰り返しますが、胃薬は修復の過程を助けるのであって、
飲んだ薬自体が胃粘膜に成り代わって胃の中に存在し続ける訳ではありません。
傷んだ身体(の一部分)を元通りに直すのは例外なく身体自体の営みで、
治療はそれを促したり、邪魔する要因を取り除くだけです。
つまり、命は本来自立的であるということ。それに寄り添うのが治療者の役目。
動物にその自覚を求めるのは無理としても、われわれ獣医療者はもちろん、
飼い主さんにとってもこの深淵なる原理への理解は意義深いでしょう。
命が自立的であることへの理解を(無意識的な場合も含めて)深めた飼い主さんが、
最愛の動物を健やかな状態に保つことに成功している様子は、
獣医師の私にいつも清々しい感動を与えてくれます。
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