あおぞら動物医院

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12月 11th, 2014

⑤アベノミクスはどうなのよ?

中世界, by aozora.

シリーズ最終回はアベノミクス。これをツイッター等のSNSで話題にしないよう、自民党の選対は各陣営に指南しているらしい。叩けばいくらでもほこりが出るのだから、アベノミクスには下手に触れるなという作戦は至極妥当である。しかし、そもそも、これほどに実験的で、音頭をとってる当人たち自身も、本当のところどうなるか確定的なことは言えない冒険的政策に関して、いかなる意見を述べたところで、結論は始めから決まっている。つまり、

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。」または、「そうなるかもしれないし、そうならないかもしれない。」あたりが関の山である。

⑤アベノミクス問題

経済学というのは一般に大変買い被られた学問分野で、その筋の連中は難解なカタカナ用語や業界用語を駆使して、それこそ何でも分かったようなことをしたり顔で言うのはもちろん、自らの予想と全然違う結果に見舞われた後に至ってもなお、その不本意な?結果のほうがイレギュラーであり、掟破りなんだといった詭弁を弄することぐらい御茶の子さいさいの人種が専門性を競う、そんな学問なのである。

要するに何も分からないくせに、決して分からないとは言わないし、分かったような顔をするのが経済方面での専門家(いつもテレビに出てくる常連風情は特に!)だと思って、話半分に聞いておくぐらいでちょうどいい。

現在アベノミクスが「生きている」ことを皆が実感しやすいのは、為替と株の動きを眺めるときであろう。

為替は本当によくぞここまでやってくれたものだと呆れるレベル。

まず第一に、原理的には国力を反映するその国の通貨を自ら安値に誘導する行為は、近隣窮乏化政策という側面と表裏を成すので、この状況で一番面白くないのはお隣の韓国。反日的な言動によって自国の統治機構側の不備から自国民の眼を逸らそうという意図なども、巷間言われている通り事実という面もあるのだろうが、それ以上に、円を安くされたことで今まで上手く行っていたウォン安前提の商売の邪魔をされたと感じる恨みのほうが、最近の韓国首脳の言動を理解する上で、スッキリした動機のように感じられる。

日本国内に目を転じれば、もともと種々のリソースを輸入に頼っている付加価値貿易の総本山たる日本にとって、輸入代金の支払いで大幅に割を食う円安容認は、時間と共に副作用のほうが大きくなってくる公算大。個人レベルでは、資産をドル建てにでもしていない限り、純粋に円ベースの生活をしている一般庶民にとっては、デメリットを感じる局面のほうが多かろう。海外旅行に行くにも、弱くなった円を見るにつけ、分相応に円が強かった頃は当たり前だと思っていた旅先での楽しい買い物が、すっかりつまらない物になった。まさに隔世の感がある。

株に至っては、そんなもの選挙の争点でも論点でもないわい!と叫びたくなる。

言うまでもないことだが、株価上昇の恩恵は、究極的にその「含み」(取得価額と時価の差。プラスなら含み益、マイナスなら含み損)の中に存在するわけで、まさに擬制資本がいくら増えました減りましたを云々しているわけである。銀行の不良債権処理から後、価格変動のある証券を自己資本にカウントすると、相場の良し悪しが保有企業の本業の損益を規模の上で凌駕してしまい、白人が勝手に決めた自己資本に関するBIS基準に照らすたびに、資本の健全性が危ういように見えてしまうので好ましくないということになった。以来、擬制資本はあくまで擬制資本だから、そういうものを当てにした経営や資本政策はやめにしましょうという方向性の末に現在があることを思えば、これは明らかに喉下過ぎれば・・・の匂いがする。

また、誰がどう美化しようと、個人にとっての株式相場参戦は丁半博打の世界。一昨年来の東京市場のように、政策的な意図が原動力と思われるような上昇相場については、中長期での相場予測など、もともと本気で考えるに値しない。何となくでも分かるとすれば、目先の需給がどうなるかぐらいのものだろう。

日銀がインデックス(と言っても、建前上の公平性の観点から日経225ではなく、TOPIX連動らしいが)の上場投信(ETF)を場を通して直接買い付けて、資金供給するという耳を疑うような奇策に出て以来、午後二時頃にインデックスが前日比マイナスに沈んでいたりすると、機械的に日銀が買い注文を入れて来る由。それを見込んで、指数寄与度の大きな銘柄を先回りして仕込んだり、指数先物との裁定取引で現物相場が返り血を浴びたり、何だかだいぶ前に見たような光景。

といっても、その昔、「黒い目の外国人」が話題になったり、市場で「公的資金の買い」とか「株価PKO]と呼ばれた買い支えが観測された頃は、東証一部の一日の出来高が普通に2億だの3億株だのという閑古鳥だった。単純に比較しても、やっていることのスケールがまるで違うのである。その上、今度は年金における株式運用比率を高めますというのだから、従前山師もどきの個人が自己責任で丁半博打を打つのは勝手と放っておかれた株式市場に、いまや日銀様や公的年金資金様が平然と博打をうちに毎日やって来る時代。

こんな相場に売り向かう者など、そうそういないのは当然のこと。国策に売り無しである。

株は買い注文が増えれば値が飛ぶであろうことは直感的に分かる。しかし、株価形成の本質は「需給」である。需給を引き締めるには、降っても晴れても買い向かう誰かが存在するか、あるいは売る人が居なくなるかの、どちらかである。もし両方が揃えば、多少図体がデカかろうと火柱高もありうる。つまり、今現在の東証株価の一本調子な上昇は、政府日銀が白昼堂々買い向かっている相場で売りの手が軒並み引っ込んでいる点にこそ、上げの特徴というか本質が存在する可能性が高い。その意味では、実はかなりの省エネ上昇相場ではないのかと、私個人は想像している。

それで、その先一体どうなるのか?

それが分かれば苦労しないし、もっと言えば相場に自分も乗ればよい(笑)。とりあえず確かなことは、永久に上がり続ける相場はないこと。また、需給頼みの上昇は、それが反転した途端、見るも無残に崩壊することが多いこと。外部環境がどうの地合いがどうのと語られる解説の多くは後講釈で、きっかけさえあれば相場つきは一変するもの。つい最近まで、原資産に限りがあるから無限に上昇するかのように言われていた貴金属等のタンジブルアセットも、今振り返れば他のコモディティと同様、先高感による需給が最大の買い手だったわけで、今現在では原油市況の緩みに於いて同様の現象が実演中である。

どこかの時点で大きな巻き戻しが入り、巨大な資金は手のひらを返したように売りで参戦してくる。それがいったい何を口実に、いつの時点で起こるかは分かりませんよということに尽きよう。ここでは、株価の上昇を観測するに当たり、その時価総額は擬制資本の総和であり、実際に流入した資金の総和ではなく、あくまで需給のバランスの結果そうなっただけだという視点を持っておけば、ある日突然、東証から吹いてくる崩落の突風により直接個人の生活が吹き飛ばされるようなことは避けられるだろう。それで十分なのではないか。

にもかかわらず、この手の予想が一体どうして国政選挙の争点になどなるというのか。

数の上では圧倒的に「相場なんか張っていない」人が多数を占める有権者に向かって、アベノミクスの賛否を問うということは、それぐらい唐突で無茶な話だと思えてならない。包含する問題点や要素があまりに広汎なので、現時点において、アベノミクスがもたらす結果は、おそらく予見不能であるとするのが、最も妥当な見方ではなかろうか。

モノやサービスの対価が異常に低下したデフレ経済下では、本来支払われるべき正当な対価という意味で、物価が緩やかに上昇する方向性に舵を切るという発想自体は、おおむね正しいと思われる。私も共感できる数少ない部分であり、アベノミクス全部絶対反対というわけでもない。ただ、上記の「緩やかに」という部分一つとってさえ、その実現性は誰も担保できないので、一国の運命を賭ける対象としてアベノミクスが適性を有するかと問われれば、やはり否と答えざるを得ない。期待通りにコトが運ばなかった場合の結果が、あまりに悲惨である可能性がある場合は、安全側に立つのが国家の存亡とか人命を預かる立場上、当然の態度。しかし、アベノミクスはそうなっていないのである。この期に及んでも原発をやめられない件と通底するメンタリティを感じる。

選挙との絡みでというより、今後いかにしてアベノミクスの副作用から身を守るべきか、個人レベルではそちらの方を考えたほうが良い段階に、ぼちぼち差し掛かっているのではなかろうか。

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