④少子化問題

シリーズその4は少子化問題。しかし、少子化は本当にそれ自体が「問題(悪いこと)」なのか、良く考えてみたほうがいい。少子化で困るのは若い世代だということになっているが、本当にそうなんだろうか?この件についての持論を、たとえば私の親に話したりするとそれはそれは大変な反発ぶりであっけに取られるが、つじつまの合った反論を聞く機会には恵まれず。他方、ことの本質を冷徹に見据え、「年寄りの作法の問題だよ」と私に解説してくれたのも団塊世代の方だったし、分かる人には分かるという真理に、年齢差は存在しない。ここで私が槍玉に挙げるのは、老後の生き方の問題について、本気で被害者然として、若齢層を含む現役世代の生き方そのものに臆面もなく干渉するような「お年寄り」であることを、前もって明らかにする次第である。

④少子化問題

麻生財務相が「年寄りよりも、子供を生まない若者のほうが悪い」と言った言わないでゴチャゴチャ言っている。麻生財閥のお坊ちゃんは、本当のところ子供の世話なんかしたこともない(自分の気が向いた時に手を出しては悦に入ってる類だろう)から、子供を生むのも育てるのも、どの程度大変だとも、面白いとも、要するに何も知らない。自らの頭の中にあるイメージ(思い込み)にのみ依拠して、今日はそう思ってるよということを素直に口に出したか、あるいは選挙において重要な「腐るほどいる」お年寄り連中に媚びる必要を感じてそう言ったか、まあ、いずれにせよ麻生太郎の人となりについて今さら議論するきっかけになるような出来事ではない。

4人の現役が1人の年寄りを支えるつもりが、担い手が3人になり、2人になり、下手するとそれ以下になってしまうから、子供を増やさなければならないのだと、要はそういうことである。これは別段麻生太郎先生の提起した新学説とかではなく、たぶん、ほとんど誰に聞いても同じように答えるだろうし、それのどこが変だとも思われてはいないらしい。

しかし、私に言わせれば、それは誠に変てこな理屈なのである。

人口の年齢的な構成をしばしば「人口ピラミッド」と、図表の名前に代表させて一言で表現してしまうので、ここでも簡便のためそれを踏襲する(もはやピラミッド型でもなんでもないのにね)。

人口ピラミッドは、ある朝目が覚めたら「うわっ、こんな形になってる~!」と驚愕するようなものではないことをまず確認しておきたい。当たり前のことである。大人が子供を生むのであって、ある時期の子供が後期高齢者を沢山生んだりすることはない。従って、ある集団の人口動態や構成者の年齢分布といったものは、生物学的な常識に社会学的な考察を加えることで、実は相当程度の精確さをもって予見可能である。それも、間際に見えてくるというようなものではなく、何十年も前に、切り口によっては百年単位で細かな予想が立てられるのである。

こうした予想が大きく狂ったり、趨勢においてまったく違った成り行きを見せる要因としては、人口が半分になるような疫病の流行や戦争、独裁者の狂気を許してしまった結果の大粛清、はたまた慢心や驕りで3つも4つも並べた原子炉を爆発させてしまったなんてことが可能性としてありうるが、それらの蓋然性を個々に検討すれば、結局のところ、人口ピラミッドの変遷を見誤る可能性自体が、確率統計的には予見可能だといえる。

原発施設そのものに近づけなくなるような事態は、マトモな精神構造であれば一度の経験で十分な教訓を得るべき失敗だが、不幸にしてそのあたりの学習がほとんど成立していない政府や国民というのは、多分唯一、人口ピラミッドの不確実性を増大させる現実的なリスクとはなるかもしれない。本稿のテーマとは直接関係ないけれど、一応言わずにいられないので(笑)。

何が言いたいかというと、現下のご老人たちが、自分たちの世話をさせるには若者の数が足りない足りないとご心配なさるのは、心情的には分からぬでもないが、筋道だてて考えるといささか虫が良すぎるのではないかということである。何しろ、今現在の年金受給世代が若者とか現役世代とか言われていた頃には既に、今現在の人口ピラミッドの姿というものは詳細に至るまで予見可能であり、今になって「知らなかった」と言ってみたところで、同情の対象には到底ならないという事実を、一体どれほどの「被害者系」お年寄りが自覚できているのだろうかと、前から腹立たしく思っていたのである。

つまり、これは一種の「アリとキリギリス」みたいなものなのだ。

今の現役世代や若者が「アリ」かどうかは、評価主体によって大きく見方が分かれるところだろうが、今現在の人口ピラミッドがこうなることを予見できるようになっていた過去40年以内に有権者だった今現在の「お年寄り」がまぎれもなく「キリギリス」だったという点については、それを論理的に否定しうる分析も言説も寡聞にして聞いた事がない。

公的年金が当初積み立て方式で始まったにもかかわらず、経済成長下でそんなものが成り立たないことを分かりきっていた役人が、頃合を見計らって賦課方式に切り替え、実はしかしどちらにせよ将来の受給者である納付世代に振り出した空手形はどうしようもないことまで分かりきっていた役人やそれを嗅ぎ付けた政治家が我さきに年金資金を食いにかかり、生まれついてのフィクションだった公的年金は、悪だくみ連中の予想よりも早く破綻が露呈することは避けられない昨今。

もちろん、一番悪いのは、その悪質さにおいて例を見ない確信犯の高級官僚や横領議員たちだろうが、連中と同時代に成人していた納付者たちも、「政府がそう言っている」「NHKがそう言っている」の決め台詞をもって、自分の頭で考えることを放棄する方便としておきながら、今頃になって「騙された」とか言っているのを見ると、おぞましくてとても気分が悪くなってくる。

まさか、30年前、40年前に自分たちが人口ピラミッドの示す近未来を「見ようともしなかった」不見識や、公的年金だけで働かずに現役時代並みの生活を送れるといった類の始めから成り立つわけのない夢物語を真に受けたナイーヴさまでも、今日産まない選択をした現役世代や産むに産めないワーキングプアの心がけの悪さのせいにしようとでも言うのだろうか?

個人が子供をもうけるかどうかなど、他人の知ったことではない。産ませたかったら、産んで欲しかったら、せめて産んでみたくなるような世の中の仕組みを整えるなり、(だいぶ前であったとしても)産んだおかげでこんなに楽しい人生になりましたよという姿を自ら率先して見せてあげたらいい。もしかしたら、心がけが悪いと罵られていた若い人の中から、老人衆が期待するような改心をする殊勝さが芽生えないとも限らない。

尤も、そもそも子供は老人を経済的に支えることによってのみ社会に貢献するかのような物言い自体が奇妙である。(ヘタレ)保守の人が好んで主張する「親孝行」なども、要はそこに至るまでの親子間の人間関係に応じて、おのずからその内容というか範囲が規定されるわけで、例外なく結果論であろう。優しく出来ない、優しくしたくないような人間関係の末には、相応の冷めた「親孝行」が待っているのは当たり前のこと。赤の他人にとやかく言われるのも当事者の親子にしたら心外だろうが、ましてや国家がそんなことにまで口出しするなど論外である。命じたり指図するのは勝手だが、現実問題として、人の心はそんなことで動くものではない。

もっともらしい理由をつけて、自分の人生を犠牲にしてでも、破綻した年金の肩代わりや必要最低限の水準を著しく超過した医療支出(医療費の無駄遣い受診)の肩代わりをするのが当然だと脅迫されている若い世代に向けて、具体的かつ画期的な現実対処法を提案しよう。

上述したとおりで、いついつの時代にどれぐらいの年寄りがいて、その下の世代がどれぐらい居るかなんてことは前々から分かっていたこと。従って、今から現役世代の扶助を必要とする世代に対しては、最大でも、彼らがかつて背負ったのと同じ程度以上に拠出するべきいわれはないという視点で、世の中のルールを再構築するよう働きかけるべきである。つまり、5人とか6人で1人の老人を支えた世代を、今の若い人が2人とか3人で支えなければならない、という理屈は自明でもなんでもないということ。現役世代の総所得に対する負担比率に着目し、時代特有の事情があれば若干の補正を検討する。仮に昔のサラリーマンが収入の1割弱を老人に対する扶助として支出したというのであれば、今のサラリーマンも同じ比率で支出するのが最大値だという意味である。

何度も繰り返すが、今老人がやたら沢山いて、これから二十年くらいは凄いスピードで増え続け、その後ペースは落ちたとしても、この私を含む団塊ジュニアが後期高齢者になる頃までは、老人扶助の担い手は減り続け、扶助のための予算は逼迫の度を極めてゆくわけだが、それもこれも人口ピラミッドとしては前々から分かりきっていたこと。

どう逆立ちしても、今の若い世代にその原因があるわけではないのだから、助けられる側の老人は、その時々の人口ピラミッドに応じた予算総枠の範囲内で「助けられる」しかない。身の丈にあった生活をせよと、昔から言うではないか。そして、背負う若い世代からしたら、無い袖は振れないのである。これも昔から言われていること。理解できない年寄りなど、どこにもいないはずなのだが。

最後にもう一つ、次代を担う皆様に明るい話題を。

天動説が地動説に取って代わられるのに百年近くかかったそうな。コペルニクスやガリレオが正しい真実を看破したその翌日から、衆人凡人のアタマも啓かれたのかと思いがちだが、まったく違うのだという。

では、どうやって、真実は人口に膾炙したのか?それは、意固地で迷信深かったり、頑迷で人の話を聞く準備が出来ていなかったりして、新しい価値軸の存在自体を受け入れられない「古い世代」が、時間の経過にだけは抗えず「死に絶えた」ことによって、後からもたらされた正しい真実が「常識」となったのだというから凄いではないか。それぐらい、人間が真実を知るのには勇気が要るという証だとも見られる。

私たち団塊ジュニアがあらかた墓場に入る頃には、無い物ねだりをする醜い老人もほぼ一掃され、日本を貧乏小国に落ちぶれさせる主犯格の原発だってなくなっているに違いない。

若者よ、たとえ今時点で選挙に行ったところで、暇な団塊世代以上のべらぼうな票数に圧倒され、実際問題として「少数派」である若年層の投票行動がちっとも社会変革につながらない絶望感が横溢していても、最終的には待てば海路の日和ありだ。我々団塊ジュニアがくたばる頃までには、必ずマシな世の中に変わってゆく。冗談で言っているのではない。目先の不条理に目を奪われて絶望するなかれ!