中医研の6月例会

 

毎月(原則)第二土曜日の午後は外来診療をお休みさせていただき、中医学研究会(仙台)の定例勉強会に出席しています。

学問としての中医学は、奥深いだけでなく、間口の広さもとんでもないレベル。

中医学における「脾」や「腎」と、現代西洋医学における「脾」や「腎」とは、全く別のものをさすという「同綴異義語」問題に始まり、西洋医学で教育を受けた(中医学の)「初学者」を泣かせる数々のハードルも待ち受けます。

遅々として進まぬ自らの学習進度を、時に嘆き、時に途方に暮れ、何度となく挫折しそうになりながら、かろうじて今日に至っている訳ですが、かねてより遠く彼方に見えている巨大な山がいくらかでも近づいてきたような感覚は、遺憾ながらまだ一度も味わえておりません。

しかし、さる高名な学者が「勉強は一度やっても何がなんだか分からず、二度目になっても既に一度やったことなのかどうかすら判然とせず、三度目になってようやく所々既視感を覚えるようになり、四度目には話の始めと終わりくらいは分かるようになり、五回目くらいからもしかしてこの分野は面白いのではなかろうか?と微かに感じられるようになる…そんなものなのだ」と喝破していたのを知り、大いに勇気づけられたものでした。

心優しく比類なき忍耐強さを具えた我らがお師匠さんの主宰する中医研の例会では、「この話はたぶん7~8回目だったような気もする」場面も少なくありませんが(笑)、これでよいのだ!と開き直り、基礎理論の復習を厭わず、行きつ戻りつして学習を進めております。

今月の例会で話題になったことの一つが、「陰虚内熱証の患者に水を多めに飲むよう助言するのは適切か?」というもの。

陰虚内熱というのは、ザックリ言うと「熱を生み出すアクセルを踏み込んではいないが、熱を取り去るブレーキの機能に問題が生じた結果、普通に過ごしているだけの状況下でも、相対的にシステムとしての身体に熱がこもってしまい、それが不調の原因になっている」ような感じの状態。

その様な状況下では、身体の各所において潤いが不足し、健常ではない状態が生み出されることが知られており、そこへ「水を飲ませる」ことは治療上合理的なことなのかどうかという問題提起でした。

ここでは中医学の学問的な解説を目的とは致しませんので、結論に至る理論や機序は割愛しますが、「水なんか飲ませて何とかしようとするのは見当違いも甚だしい」というのが正解。

「嘔吐を繰り返していても、水さえ飲めていれば大丈夫」だとか、夏になるとNHKが連呼する「(熱中症予防のために)こまめに水分を摂りましょう」といった言説を真に受けていると、非常に高い確率で致命的な結果に結びつくであろうことは、ちょっとでも医学生物学に代表される自然科学のトレーニングを受けた者なら即座に予見可能。

このあたりが中医学的にも自明であることを確認出来たという意味で、なぜ水なんか飲ませようとしている場合ではないのかを論じた6月例会の講義は印象深いものとなりました。

なお、上に示した嘔吐症と熱中症のいずれに関しても「飲まないよりは飲んだ方がいい場合が多い」という程度の話で、問題の本質的な解決や回避策ではあり得ないのだということを、本稿をここまでお読みくださいました皆様には、ぜひ記憶しておいていただけますと先々役立つのではないかと存じます。

“中医研の6月例会” への1件の返信

  1. ピンバック: 「中医研の6月例会」を掲載 - あおぞら動物医院

コメントは受け付けていません。