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院長ブログ
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ペット災害対策の肝は?

ペット災害対策の肝は?

2011年の震災以降、誇張ではなく「年がら年中」地震が来る我が郷土・宮城県。

とくに我が町岩沼をはじめ、沿岸各地域においては、震災でペットと人間家族の安全を同時進行で図らなければならない状況を経験済みの飼い主さんも多く、その体験ゆえに、この先の人生もずっと大好きな動物と暮らしていくことが出来るだろうかと、不安を感じているという声も幾度となく耳にしました。

地震も気象災害も、時ところを構わず、向こうから勝手に私たちに襲い掛かってくるものですから、平素から備えを怠らない以外に対策が無いことは言うまでもありません。

実際、フードや水のローリング・ストックを実践してらっしゃる方や、常用薬の手持ちに余裕を持たせるなど、具体的な対策を打っておられる飼い主さんの方が多いように感じます。

我々獣医療者の側でも、コロナ騒動以来いつまで経っても安定供給に復帰できないまま、今度は米国イスラエルとイラン間の不可解な戦争を理由に、さらなる医薬品と医療用部材の調達困難に見舞われるという現状では、治療にどんな薬を選択するかの検討以前に、その薬はちゃんと継続して入荷するのだろうか?という「医学的な効果とは何の関係もない懸念」の方が先立ち、実際の処方が調達の難易度に影響されざるを得ないといういびつさが、現場では常態化しつつあります。

そんな状況にあっては、「無い」ものを望んで不安に打ちのめされるより、出来ることはなにか?何から始めるのが効果的か?に目を向けたいもの。タイムリーな新聞記事を眺めながら、少し考えてみました。

物資の備蓄はもちろん大事ですし、非常に効果的な対策です。

その一方で、いざ被災して、行政が推奨するペットの同行避難を実行する場合、それが上手くゆくために最も重要なポイントを一つだけ挙げよと言われれば、真っ先に私の頭に浮かぶのは「最低限のしつけが出来ている(動物行動学上の課題が克服されている)こと」だと思います。

ペットの同行避難は「ペットを置き去りにした避難をしない」という意味で、避難先に到着後はヒトはヒト、動物は動物のエリアに分かれて、特に動物は個々のキャリーやケージに収容された状態で所定のエリアに集められます。

同行避難したペットたちは、空間的には飼い主さんと隔てられた状態で避難生活を送るということです。

避難所にはたくさんの他人同士、遭遇したことのない動物同士が、一挙に集まってきます。当然の帰結として、ヒトも動物も非常な緊張状態にあり、心身共に疲労して余裕のない状態にあります。

そのような状況で、飼い主さんと引き離されるや否や狂騒状態になる(分離不安)、ヒトでも動物でも相手かまわず吠え立てる、被毛が無くなり皮膚が裂けるまで自分の身体を舐めたり咬んだりし続ける(過剰グルーミング)、まとまった時間歩かせた上で特定の場所にたどり着かない限り排便をしない、皿に置くのではなくヒトの手からじゃないと餌を食べない・・・といった習慣があったら、その子と飼い主さんの避難生活は、輪をかけてストレスの多いものにならざるを得ません。

上記のような習慣のひとつひとつは、平時なら必ずしも深刻な問題とはならず(ならないように代償する対策を別途用意できるため)、それどころか「そんなの誰にでもあるでしょ?」と見過ごされても不思議ではない、ちょっと困った癖ぐらいにしか思われていない場合も多々あるのではないでしょうか。

でも、実際にはこうした「ちょっと困った癖」の類が、いざというとき、もっと言うなら「平常な日常の枠組みからちょっとでも外れた」途端に、思いもかけない深刻さを伴って、困難をもたらす原因にもなるのです。

しかもそれは、実はペット同行避難のような極限状態に限って起こる問題ではないのだという点についても、あまり議論されているのを見たことがありません。

例えば、ペットの顔に触れない、口に触れない、爪が切れない、シャンプーが出来ないといった状態だと、それはすなわち目薬が差せない、歯磨きが出来ない、外傷の管理ができない、皮膚病治療の薬浴が出来ないという話になり、その結果、一般的にさほど重篤だとは言えない疾患であっても、治療が難航・迷走することは十分に起こり得ます。

X線CTやMRIに代表される高価で高精度な画像診断装置が利用できることや、遺伝子レベルの解析検査、分子標的薬の普及など、いわゆる医療の高度化、先進化にばかり目が行きがちなのは、医療側にも患者側にも言える傾向です。

ペットの身に降って湧いた健康問題も当然、医療の進歩が何とかしてくれるだろうと、うっかり期待してしまう飼い主さんもあるでしょう。

しかし、獣医療における診断や治療にまつわる実際上の課題の大半は、医療の進歩などという総論よりもずっと「川下側」に存在します。このことは、今も昔もほとんど変わっていないのです。

だから、上で述べたような「ちょっと困った癖」のような小さな習慣の数々が、平常な日常の枠組みからちょっとでも外れた途端に牙をむき、命にかかわるような問題を巻き起こす原因になることを危惧するのは、決して大げさでも論理の飛躍でもないのです。

大震災のみならず、ありふれた病気にかかる程度のことでも、平常な日常の枠組みから外れた以上は、同じような道をたどる可能性が高いということです。

俗にしつけの問題といわれるものの多くは、ヒトの特性や動物の習性に関する知識の不足により、ヒトと動物の距離感が誤って見積もられた結果、不幸な関係性が習慣化・固定化した状況を指します。

それを回避するための重要なプロセスの筆頭格が、動物の「社会化」でしょう。

動物がヒトの社会に溶け込み、そこに暮らす人々や他の動物とのあるべき関係性を習得するためには、動物の幼少期の飼養環境が極めて重要であることが知られています。

後々の困難の元凶になる「ちょっと困った癖」の類もまた、幼少期からの積み重ねによって生まれ、強化されてきた問題です。理想的には、動物の正しい遇し方に関する知識を身につけて、幼少期から飼い始める方が複雑な問題を抱え込む確率は低くなるので、ペットの導入期から私たち獣医療とのかかわりを持つことは、非常に効率的な選択といえます。

飼い主さんが知識不足のまま、意図せず動物の幼少期をやり過ごしてしまい、残念ながら「ちょっと困った癖」のいくつかが「ちょっと」とも言えないような困り方に発展してきた段階であっても、状況を改める取り組みが早ければ早いほど、軌道修正して明るい出口に至る可能性は間違いなく高まります。

問題行動が形成されるのに要した時間(すでに経過した時間)が長いほど、解消の取り組みに要する時間も長くなるのは必然ですが、その取り組みの具体的な中身というのは、総じて「なんだ、そんなことだったのか・・・」と多くの飼い主さんが拍子抜けするような、些細な生活上の習慣の修正を積み上げていく作業になります。

時間がかかるので根気は要りますし、年余にわたる習慣を次々と変更しなければならないことへの戸惑いもあるでしょう。しかし、一つ一つはどれも簡単に実行できることばかりで、自分には出来ないとか、無理だろうと絶望するような内容ではありません。

要は、何が問題で、なぜそうなったのかを理解して納得する。何が良くない習慣で、どのように変更したら良いのかについて、各段階ごとに実効性のある助言を継続して受けながら、腰を据えて取り組む。それがすべてです。

この場合も、日々立ち現れる「これはどうしたらいい?」という疑問に、伴走者として答えてくれる専門家といかに早く付き合い始めるかが成否を分けるといっても過言ではないでしょう。

被災して避難を余儀なくされるような非常事態を乗り切ることも、先進的な診断技術の恩恵を活かした治療を「実際に実施できる」ということも、実はみんな地続きなのだという視座を紹介申し上げたいというのが、本稿の趣旨であります。

「非常時に備える」とは、平常時の「ちょっと困った癖」を、不作為によって積み上げまいとする意識に他ならないことを、動物とともに暮らす人生の素晴らしさと同等に、みなさんと共有できたらと考えております。

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