あおぞら診療日記「みいくん」

みいくんは、様々な点で前代未聞の難しい症例でした。

そもそもの原疾患はネコちゃんに好発する下部尿路疾患だったらしいのですが、当院を受診された時点では骨と皮ばかりにやせ細り、文字通り「一体何がどうなった結果なのか」も「どこからどう手を付けたらよいのか」も即座に思いつかないような状態にまでこじれていました。

再発性尿道閉塞の最終対処法として選択されることの多い会陰尿道造瘻術(オスの外生殖器を切断)の適応でさえなくなってしまった、きわめて深刻な医原性排尿障害の後遺症に対しては、腹壁を介して膀胱を開放固定して排尿させる以外に、これを西洋医学的に管理し得る方法は理論上「見当たらない」ことになります。しかし、三歳の若齢猫に見込まれる平均的な余命を全うさせるには相当に無理のある方法であり、容易には選択できません。

みいくんの「生きたい」という力と、飼い主さんの「生きていて欲しい」という思いを託す先として、当院では漢方を提案しました。これほどのダメージを受けてもなお何か月にも渡り生き抜いてきたみいくんの生命力を味方につけて、生体が持つ回復力を最大化する漢方に賭けてみるしかなかった、と表現した方が正確かもしれません。

あれから一年弱。飼い主さんの執念ともいうべきお世話に応えたみいくんは元気そのもの。二キロ台だった体重も四キロ前半に台替わりし、表面上は全く普通のネコちゃんに戻りました。

もちろん、上述の深刻な医原性器質障害自体が消えてなくなったわけではありませんので油断は禁物ですが、あのような経過の末に普通の生活が送れる日がやって来ようとは、当初治療者としての私にも展望することが出来ませんでした。

生体の持つ底力と献身的な飼い主さんの治療管理、そして漢方の力。いずれをとっても、忘れがたい症例として名を残しそうなみいくんです。

 

 

====================命はもともと自立的=====================
病気になったとき、それを治すとはどういうことでしょうか。
たとえば胃に炎症が生じて食欲がなくなったときに飲む胃薬。
炎症で傷んだ胃粘膜を様々な機序を介して修復することを助けますが、
飲んだ胃薬そのものが胃の中で「正常な胃粘膜」に変身したり、置き換わることは出来ません。
炎症で壊れた胃粘膜も始めはそうであったように、
損傷部を修復するために新調される胃粘膜もまた「身体」が作ってくれます。
繰り返しますが、胃薬は修復の過程を助けるのであって、
飲んだ薬自体が胃粘膜に成り代わって胃の中に存在し続ける訳ではありません。
傷んだ身体(の一部分)を元通りに直すのは例外なく身体自体の営みで、
治療はそれを促したり、邪魔する要因を取り除くだけです。
つまり、命は本来自立的であるということ。それに寄り添うのが治療者の役目。
動物にその自覚を求めるのは無理としても、われわれ獣医療者はもちろん、
飼い主さんにとってもこの深淵なる原理への理解は意義深いでしょう。
命が自立的であることへの理解を(無意識的な場合も含めて)深めた飼い主さんが、
最愛の動物を健やかな状態に保つことに成功している様子は、
獣医師の私にいつも清々しい感動を与えてくれます。
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