あおぞら診療日記「ラフィ―くん」

いつも穏やかでおっとりしたラフィ―くんは、一見すると何の苦労もない人生を送っているようにしか見えませんが、実は何度も山をこえ谷を渡って生き抜いてきた苦労人。

大きな試練だけでも、ガンの温熱治療に始まり、再発時には大きな手術も経験。最近では神経系の珍しい病型のトラブルにも見舞われ、診察する院長も最新の治療情報を求めて紙の文献をあたり、詳しい先生に相談して回り、一つ一つの問題ごとに学びを与えてくれたラフィ―くん。

こうした困難さにもかかわらず、ラフィ―くんが依然として元気に日常生活を送れているのは、言うまでもなく飼い主さんの献身的なお世話の賜物。心が折れてしまっても不思議ではないような苦境にあっても常に前向きなお姿に、院長以下当院のスタッフはいつも身が引き締まる思いでした。

目下は上述の神経系の疾病と持病の心臓弁膜症を管理中ですが、漢方を軸に据え、副作用の面で問題のある西洋薬を補助的な用法用量にとどめることが出来ており、今後さらにホリスティックな方向にシフトする可能性を模索しているところ。

かくも複雑な病歴を見事に乗り越えてきたラフィ―くんは、治療者である獣医師の視点からすると、もはやこのうえ何が起きても不死身なのではないかと思われるほどの勇気を与えてくれています。

 

 

====================命はもともと自立的=====================
病気になったとき、それを治すとはどういうことでしょうか。
たとえば胃に炎症が生じて食欲がなくなったときに飲む胃薬。
炎症で傷んだ胃粘膜を様々な機序を介して修復することを助けますが、
飲んだ胃薬そのものが胃の中で「正常な胃粘膜」に変身したり、置き換わることは出来ません。
炎症で壊れた胃粘膜も始めはそうであったように、
損傷部を修復するために新調される胃粘膜もまた「身体」が作ってくれます。
繰り返しますが、胃薬は修復の過程を助けるのであって、
飲んだ薬自体が胃粘膜に成り代わって胃の中に存在し続ける訳ではありません。
傷んだ身体(の一部分)を元通りに直すのは例外なく身体自体の営みで、
治療はそれを促したり、邪魔する要因を取り除くだけです。
つまり、命は本来自立的であるということ。それに寄り添うのが治療者の役目。
動物にその自覚を求めるのは無理としても、われわれ獣医療者はもちろん、
飼い主さんにとってもこの深淵なる原理への理解は意義深いでしょう。
命が自立的であることへの理解を(無意識的な場合も含めて)深めた飼い主さんが、
最愛の動物を健やかな状態に保つことに成功している様子は、
獣医師の私にいつも清々しい感動を与えてくれます。
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