あおぞら診療日記「ポコちゃん」

ポコちゃんとの初対面は衝撃的でした。待合室で順番を待っていたポコちゃんの容態はみるみる悪化し、ついには息を吸うことが困難な状態に。脂汗をたらしながら救命処置にあたる最中、何度も胸中に立ち現れる「もうダメかな…」という声を必死に振り払ったあの日の記憶は、今なお鮮烈です。

6日間に渡る集中治療の末、目立った後遺症もなく退院できた幸運に恵まれたポコちゃんは、重症の気管虚脱症による深刻な呼吸不全に陥っていたことが判明。急性期の救命治療は西洋医学的な手法を軸に進められたのに対し、慢性経過移行後は中医学的な診断に基づくダイナミックな治療手法による管理が現在まで続けられています。

興奮時などに若干、持病の存在を意識する瞬間はあるものの、日常生活は概ね順調。気管の外科的な矯正に拠らず、ステロイド剤も一切使用せず長期の安定が得られている背景には、治療に対する飼い主さんの熱意が途切れることなくポコちゃんに注がれてきた事実があることは言うまでもありません。

 

 

====================命はもともと自立的=====================
病気になったとき、それを治すとはどういうことでしょうか。
たとえば胃に炎症が生じて食欲がなくなったときに飲む胃薬。
炎症で傷んだ胃粘膜を様々な機序を介して修復することを助けますが、
飲んだ胃薬そのものが胃の中で「正常な胃粘膜」に変身したり、置き換わることは出来ません。
炎症で壊れた胃粘膜も始めはそうであったように、
損傷部を修復するために新調される胃粘膜もまた「身体」が作ってくれます。
繰り返しますが、胃薬は修復の過程を助けるのであって、
飲んだ薬自体が胃粘膜に成り代わって胃の中に存在し続ける訳ではありません。
傷んだ身体(の一部分)を元通りに直すのは例外なく身体自体の営みで、
治療はそれを促したり、邪魔する要因を取り除くだけです。
つまり、命は本来自立的であるということ。それに寄り添うのが治療者の役目。
動物にその自覚を求めるのは無理としても、われわれ獣医療者はもちろん、
飼い主さんにとってもこの深淵なる原理への理解は意義深いでしょう。
命が自立的であることへの理解を(無意識的な場合も含めて)深めた飼い主さんが、
最愛の動物を健やかな状態に保つことに成功している様子は、
獣医師の私にいつも清々しい感動を与えてくれます。
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