あおぞら診療日記「チョビくん」

チョビくんは年来の心臓病と向き合ってきましたが、ここ一年ほどはかなり病状が厳しくなっていました。

動物の体には、損傷しても再生する能力に富む部分と、そうでない部分とがあります。

それらは複雑に絡み合って存在しますので、肝臓とか腎臓といった臓器単位で見た場合、単純に切り分けることが出来ないこともたくさんあります。

チョビくんが悩まされている心臓は、皆さんご存じのとおり、再生する能力に乏しい臓器の筆頭格。

身体を構成する臓器のうち、どれ一つとして無くてもいいものはありませんが、心臓ほど核心的な重要臓器に自己修復能力が備わっていないという事実は、動物の寿命が延長されるほどに、困った問題の原因になりやすいということも意味します。

今年の春が終わったころから、チョビくんは何度目かの試練に見舞われ、あくる日も心臓が動き続けてくれるかどうかさえ見通せない状況に陥りました。

病を抱えた心臓に対して、心臓そのものを標的にした治療を組み上げていく西洋医学的なアプローチだけだと、心臓疾患の最終局面が迫るにつれ、治療に対する反応性が悪くなってきます。

この状況を「死にかけた馬車馬に鞭打つ」と表現することもあります。

一方、心臓の働きに連なる「心臓以外の器官」すべてを視野に入れて、心臓にかかる負荷(負担)を分散または軽減する作戦を取るのが中医学的アプローチ。

この方法だと、心臓の残存能力をいかにして「細く長く」保つかが焦点となり、心臓そのものを狙い撃ちにして「もっと頑張らせる」イメージとはだいぶ様相を異にします。

既に出尽くし感も無きにしも非ずという西洋医学的な治療管理の微調整に加え、チョビくんの起死回生策の中心に据えられたのが中医学的な治療管理であったことは、半ば必然とも言えます。

去年に勝るとも劣らぬ酷暑に見舞われた今年の八月。飼い主さんの「諦めない」決意に支えられたチョビくんは、月に一度、処方見直しのための診察だけで普段通りの生活が送れる小康状態を維持。

かつて、文字通り命懸けの麻酔下で治療した歯周病の再発を阻止すべく、お家でのブラシングもしっかり継続中。

チョビくん自身の「まだ家族みんなのそばで過ごしたい」という強い意志も感じられる大健闘ぶりです。

 

====================命はもともと自立的=====================
病気になったとき、それを治すとはどういうことでしょうか。
たとえば胃に炎症が生じて食欲がなくなったときに飲む胃薬。
炎症で傷んだ胃粘膜を様々な機序を介して修復することを助けますが、
飲んだ胃薬そのものが胃の中で「正常な胃粘膜」に変身したり、置き換わることは出来ません。
炎症で壊れた胃粘膜も始めはそうであったように、
損傷部を修復するために新調される胃粘膜もまた「身体」が作ってくれます。
繰り返しますが、胃薬は修復の過程を助けるのであって、
飲んだ薬自体が胃粘膜に成り代わって胃の中に存在し続ける訳ではありません。
傷んだ身体(の一部分)を元通りに直すのは例外なく身体自体の営みで、
治療はそれを促したり、邪魔する要因を取り除くだけです。
つまり、命は本来自立的であるということ。それに寄り添うのが治療者の役目。
動物にその自覚を求めるのは無理としても、われわれ獣医療者はもちろん、
飼い主さんにとってもこの深淵なる原理への理解は意義深いでしょう。
命が自立的であることへの理解を(無意識的な場合も含めて)深めた飼い主さんが、
最愛の動物を健やかな状態に保つことに成功している様子は、
獣医師の私にいつも清々しい感動を与えてくれます。
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