安保関連法案も成立間近ですが

各地で安保法案に反対するデモが行われている中、法案自体は着々と成立に向けて手続きが進んでいます。

デモとの絡みで言うと、結論からすれば、残念ながら「遅きに失した」と言わざるを得ません。デモがあっても無くても、この法案は成立します。途中、維新の党が修正案を出したりもしましたが、中身は悪く無いのにも関わらず、出した維新自体が政党の体をなしてない状況下、与党のみならず、ろくな代案を出しもしなかった他の野党からも軽視され、結局は自民公明の案が一切の修正すら施されることもなく、このまま成立へと向かうわけです。

昨年夏前の閣議決定、その後の衆議院選挙で与党が圧勝し、そして現下の状況。認めたくないところではありますが、これ以上民主的な手続きもないという形です。つまり、反対するなら、閣議決定時点で大論争が起きて然るべきであり、その上、改憲を党是とし、集団的自衛権という言葉自体を権力の核心的目標だと思っているらしい(そのこと自体の異常さ、幼稚さはともかく)安倍晋三率いる自民党に選挙で圧勝させておきながら、今さら安保法制反対も何もないだろうという指摘は、全くその通りだと言わざるを得ません。

その間、政府与党が国民の方など始めから見ていないのは当たり前にせよ、じゃあ代わりにどこを見ていたのかと言えば、案の定、アメリカだけ。要するに、始めから終わりまでこの話は「アメリカ」が主語であり続けたわけです。それを国民は容認ないし支持し続けたという、外形的にはそういうことになります。

当初からそれ(アメリカの出先機関として対米従属。これなら外務官僚はアタマを使わずに済む)しか考えていない外務省の売国役人に乗せられ、ためらう防衛省もとりあえず黙らせて、国民の代表たる国会より先にアメリカと約束した手前、石に齧り付いてでもこのタイミングで成立させるという結論はとうの昔に決まっていた。このあたりの経緯をもって、最近話題の反対派学生デモを含む国会前の群集を、憚ることなくバカ呼ばわりする人も少なくありません。

しかし、この最後の部分だけは当たらないと考えます。確かに、今回の法案については既に手遅れだし、この期に及んで漸くことの重大性に気づいたナイーヴさは褒められたものでもありません。でも、どんな状況、どの時点においても、人が自らの判断の誤りを訂正したり、不見識を認めて教訓化する姿をバカにするとか、嘲笑するのは、どう考えても賢明な人間のすることではないでしょう。そうすることの不見識さに気づいていない愚を自ら公言して回るようなものだからです。

そもそも権力は何をするか分かったものじゃない。国家はその国体の護持には熱心だが、そのために個々の国民が犠牲になることなどはなから問題だとは思っていない。個別の人生の問題として考えるなら、国家とのかかわりにおいてこそ、「自分の身は自分で守るしかない」という真実。文字通り、死ぬ程大切だが、言葉にして教示される機会は期待しようもないこうした視点に、とにもかくにもかなり多くの人(特に若い人たちが!)がぼんやりとでも気がついたメリットは、計り知れないものがあります。

今回は、まさに平和ボケで、面倒くさいからと人任せにしすぎた結果、まんまと安倍晋三「男のロマン劇場」にしっかり絡めとられ、「蟻の一穴」を許してしまったわけですが、表面上の生活に変化がないからとかいうまたぞろ系のナイーヴさで、小さな穴が開いてしまった件を忘れたりせず、なし崩し的な穴の拡大を見逃さない見識を発揮することが出来れば、今さら直接の意味などない自己満足主体のデモ行進で熱くなっていたお茶目さなんて、きれいさっぱり免罪されること請け合いです。

さて、その今さらどうしようもないと思われる十把ひとからげの安保関連法案。これが通るとどうなるのか?を今さらながらあちこちで特集していますが、ざっくり言うと、今まで特措法の付け足しで合法化してきた軍事的な活動が相互に「隙間を介して」点在してきたものを、このたび晴れて隙間もろごと合法化する新法を整備し、国会で特措法を一つずつ付け足す手間と時間をカットして、必要があればすぐ(当然、必要の中身はアメリカに要請されたらという部分が大々的に含まれる)合法的に軍事的な行動に移れるように準備しなおすというもの。

例えば中国が直接日本に軍事行動を仕掛けてくるような場合は、当然ながら個別的自衛権の範疇なので(それも否定する原理主義的な憲法九条の解釈を採用しない限り)、日本が軍事行動に出て防戦に努める場合は、異論が出づらい局面でしょう。

しかし、尖閣諸島あたりに中国からやって来たと思われるような人々の上陸が企てられるような場合、相手が人民解放軍の制服を着てない限り、国際法上も日本としては軍隊(自衛隊)を出しにくい。かといって、国籍不明のやからが領有権係争中の「非」内国でゴソゴソ動いている状況に対して警察権で対応できるかというと、これも難しい。いわゆるグレーゾーン事態の一つでしょう。

また、尖閣あたりで(一応は)日本の立場を支持するような雰囲気で活動中の米軍に、援護が望ましいような攻撃が加えられたら、日本としてはそこへ出てゆくのが常識的ですが、それがどのくらい日本の本土から離れた場合まで「存立の危機」だと言い張れるのかというあたりも、やはりグレーゾーンの範疇。

ホルムズ海峡の掃海作業を戦争状態下でもやれるようにする必要性の論拠も、それが「存立の危機」だからだという言い分でしたが、さすがの安倍晋三も「それは墓穴になる」と誰かに入れ知恵されたのでしょうね。最近パッタリ言うのをやめちゃいました。そりゃそうでしょう。ホルムズ海峡を封鎖されたら、それはそこを通るほうが便利な人たち全てにとっての「危機」であり、国際法と日本の国内法との間に存在する文化の違い(というか、外から見た場合の支離滅裂さ)を強調してまで得るメリットなど、安倍晋三劇場にとってすら何もないわけですから。

ここから垣間見えてくるのは、アメリカの出先機関として業務にまい進する日本国外務省あたりに比べて、安倍晋三の頭の中にあるグランドデザインと言うか、大局観などというものは、実は目を疑うほど稚拙で単純で超近視眼的な代物らしいという事実です。美しい国だの、国家主義的な威勢のいい物言いだの、どこそこの国民であるという「属性」自体ぐらいしか自分には誇るべきものがないと思いがちな自己評価の低い集団(ネトウヨやその亜形)が泣いて喜ぶようなパターナリズムを連呼する一方で、実際やっていることと言えば、宮台真司あたりが言うところの「アメリカのケツ舐め」政策ばかりという頓珍漢さ。

片務的な日米安保条約と、屈辱的な日米地位協定に基き、アメリカのケツ舐めがどんどんエスカレートすることと引き換えに今日に至った、まさにこの構造こそが「戦後レジーム」そのものだというのに、いままさにもっとケツ舐めを徹底して、アメリカへの忠誠の証を立てなければならないと信じ込んでいる安倍晋三が「戦後レジームからの脱却」を臆面もなく語る滑稽さ。

つまり、彼の頭にあることといえば、結局のところ、1960年、あまりにひどすぎた日米安保条約をとりあえず今の条文に近づけたおじいさんの亡霊というか、その存在を克服するためには「集団的自衛権」「秘密保護法」などの魅惑的な「単語」と、自分の名前を紐付けしておくことがどうしても必要で、そのためには資産インフレを起こしても、自国通貨安競争を仕掛けて近隣窮乏政策を打ち出しても、何でもいいから「よく分かってない国民」を煙に巻くぐらい何が悪いんだ?くらいの大雑把で乱暴な粗筋ぐらいしか入ってないらしいという、背筋が寒くなるような真相。このおそろしい推測を現実のものとして受け止める勇気が、今を生きる日本国民には必要だろうと言うことです。多数派の国民がそれを望んだ。外形的には、そういうことになります。

安倍晋三内閣は、結局のところ、唯の一つでさえ、「国家存立の危機」の具体例というものを国民に示していません。その時になってみないと分からないという一点張りです。二言目にはホルムズ海峡と南シナ海の二つの単語しか発語しない安倍晋三首相本人に限っていえば、「だって本当に分からないんだから答えようがないよ」という可能性も十二分にあるという点は上述したとおりですが、まさか、彼の取り巻きが全員そんなレベルの頭脳しか持ち合わせていなければ一日たりとも国の運営は不可能ですから、彼の上位に潜在し、彼を踊らせている集団のレベルにおいては、いくつかの可能性に絞られるでしょう。すなわち、

「本当のことを言ったらとてもじゃないが世論の拒絶反応が強すぎるから、口が裂けても言えない」か、あるいは、

「何でも出来る、どんなリクエストにも即応できる白紙委任状を獲得するのが当初からの目的だから、口が裂けても具体例など言ってはならない」という強い意向や意志が働いているかの、いずれかしかないだろうと言うのです。

どちらにしても、困ったことです。この辺のいかがわしさに、かなり多くの人の「鼻」が反応したから、今さらながらのデモにかくも沢山の人々が出向くのではないでしょうか。

この国の文化として、国家や軍に対して、かなり深いところの意識において不信感が共有されているのは、多くの研究者が指摘するところ。国民の生命や財産を守るのは警察の仕事であり、軍は国家の国体を守る為にその独立と領土を保全するのが仕事。軍がその本分を全うするためには、結果的に国民が死のうがどうなろうが仕方がないというのが当然の理解でなければなりません。それは何もひどいことでもなんでもありません。

国民としては、生活の場として、慣れ親しんだ文化圏を保全してくれる点で軍隊との関係は双利的だが、実はそれ以上でもそれ以下でもない。国政がにっちもさっちも行かないような窮状に陥ると、必ず軍隊がその存在を膨張させてくるのは古今東西を問わない歴史的事実なので、国民にとってはリスクも大きい。

そんな当たり前の常識などまるで聞いたこともないような顔で、安倍晋三を含む多くの国家権力が警察と軍隊をわざとゴチャゴチャにして議論を仕掛けてくる場合は、それが国民にとって自由の制約や収奪を意味する政策を押し通すと決意したときの常套手段だからです。

したがって、その危険なにおいをかぎ分けることが出来た鼻の持ち主は、圧政の下でも生き延びられるポテンシャルを有すると言っても過言ではないということになります。今さらデモに行って馬鹿呼ばわりされた人でも、自分の頭を使って法案のどこがヤバイのかをちょっとでも考えた人なら、誰に遠慮することなく自信を持って良いのです。

では何ゆえ、そこまでして白紙委任状を今の今(今まで散々放ったらかしにしてきた日本国と国民が!)慌てふためいて手に入れようと言うのか。やはり、アメリカ絡みしかありえないでしょう。

アメリカは「世界の警察」業をリストラする必要を抱えていて、何でもかんでもアメリカ自身が乗り込んでいってプレゼンスを発揮する方式から、世界各地の要所要所に自前の軍事力をもつ手下を育て、その手助けをする方式に切り替えたいと考えている。

対する日本は、自力で自国の領土を保全するという根源的な能力に自信を持てない人たちが牛耳っているものだから、例えば中国がのして来ると自分たちだけではそれを退け切れないのではないかと心配している。千年からの歴史ある国土を、この期に及んで自力で防衛できないというのが事実だとすれば、その時点でもう日本は独立国家たり得ないではないか!とは決して考えないのが、遺憾ながら現在の国家指導層と国民の平均的な姿でもある。

かくなる上は、今のうちにあらん限りの自己犠牲を払うふり(憲法を骨抜きにする、部分的にせよ事実上主権を返上する、自衛隊員をアメリカの侵略戦争にでも貸し出す・・・等々の暴挙によって)をして、これをもって恩を売った気になって、お願いだから中国がいじめてきたらアメリカちゃん飛んで来て日本を助けてね!という「祈り」を捧げる儀式なのだという可能性が、実は一番リアリティがある・・・とか。

もうお気づきでしょうが、これは高度に個別的自衛権の話です。中国がじきじきに乗り込んでくるんですから、わざわざはるか彼方のホルムズ海峡の話題を持ち出す必要も、そこで集団的自衛権を云々する必要も、全くないというお話。なるほど、これだと安倍晋三の話がいつまでたっても支離滅裂のままだけど、彼の知的水準の問題だけでこんなにも分かりにくく、見えにくくなるものだろうか?という疑問に対する一つの答えとして、色々つじつまが合うのではないでしょうか。

アメリカ合衆国。地球上に沢山ある外国の中で、何でみんなこの国だけがそんなに好きなのでしょうか。北米大陸を先住民皆殺しの上で奪い取ってスタートしたこの国の出自以来の、一体どこら辺を取り上げたら、世界の警察業をリストラしなければならぬほど弱体化した今に至って、冷戦でロシアと対峙するわけでもない、朝鮮半島が共産化する心配を本気でしているわけでもない、世界中のどこの国よりも経済的な相互依存を深めている中国と本当は上手くやってゆくしかないと百も承知のアメリカが、他でもない中国のイジメの対象が日本だったからといって、自国の若者の命を賭けてまで日本に肩入れするなんてことが、上述した状況下で本当にありうるのでしょうか。

アメリカが好きか嫌いかとか、アメリカがひどい国かそうでもないかという問題と無関係に、人間付き合いの常識に照らしてみて、そんな不自然な行動をアメリカと日本の間に限って「当然のもの」と見做す姿勢から察するに、やはり安倍晋三という人には本当に人付き合いの経験がないのだなあと憐憫の情すら禁じ得ません。

むしろ、色々世話を焼いて手塩にかけて育てた子豚がいよいよ丸々太って生意気なことを言い出した以上、これを焼いて食ってやろうと考えるのが普通でしょ?と言った識者の話の方にこそ、私は深く共感したのですが、それは私が著しく殺伐とした人間関係にばかり縁があったからで、それがつまり安倍晋三に比べて私が著しく「育ちが悪い」からなのかどうか。

アメリカのケツ舐め主義に決別することを最終目標に据え、今後50年計画で人類未踏の「交戦権否定」という九条第二項の精神を実現する夢を諦めず、その実現の日までは暫定的に戦略守勢(いわゆる専守防衛)と侵略戦争は絶対しない旨を憲法に明記して重武装中立の多方面外交を選択することを標榜し、日本国首相と天皇陛下は中華人民共和国を含めたアジア近隣諸国を足しげく(目先の成果などなくてもいいから)訪問し続けて、交流の深化に努める。国民も交代でもいいから休みを取り、アジア各国を旅行して回る。島国根性丸出しで、見もしない行った事もない国の悪口など言って粋がってる場合ではない。

煮ても焼いても食えなそうな隣の半島国とも、その地政学的な厳しい状況(東京で言ったら、利根川の先にはロシアがあって、木曽川の先には中国がいるような状況で生きてくるしかなかったのが半島国家の宿命である)に思いを致し、日本の自己成長のためにも嬉々として交流を続ける。

そして、唯一の被爆国として、核を保有しない世界の大多数の国々と連携し、核保有国に向かって、我々に対する使用は許されないよという圧力を日本が盟主となってかけ続ける。それはすなわち、現時点で面と向かって楯突くわけにも行かない同盟国であり、原爆加害国でもあるアメリカに対する当面の有効かつ最も強力な自己主張にもなる…。

これでいいんじゃないんでしょうか? なぜ、これじゃだめなんでしょうか。実は本当の有事において実効性などほとんどない泥縄法律のごった煮に過ぎない件の安保関連法案の攻防なるものを眺めていると、いつもこの辺の結論に考えが戻ってくるのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。

 

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