あおぞら動物医院

漢方・中獣医学・宮城県岩沼市・0223-24-0672

院長のひとりごと」コーナーに、「漢方と占い」(カテゴリー:小世界)を掲載しました。

四角四面の理屈付けがなされ得ることこそサイエンスだと信じて疑わなかった院長が、サイエンスなる概念の普遍性や真理性、はたまた西洋医学そのものを疑いだした揚げ句、これからは占いだ!と論理を宇宙スケールで飛躍させる近況についてご紹介させていただきました。

動物の治療を考える際、何をもって「治る」とか「治った」と判断するのかを意識して考えてみたことがありますでしょうか?

どんな方法で治療立案するにせよ、ゴールをどこに置くのかを曖昧にしたまま着手すると、オーナーさんにとっても、獣医師にとっても不本意な結果に見舞われる公算が大きくなります。すなわち、治療がうまく行ってないのか、獣医師が目指しているゴールがオーナーさんの望むそれとは食い違っているのか、途中で見分けが付かなくなってしまう可能性が高いからです。

そうした回り道を回避するためのヒントになればとの思いで、「あおぞら講話」のページに標記の一文を掲載いたしました。

10月の下旬、外来診療が終了した夜の当院で、中医学に関するセミナーが開催されました。当院での開催は今回で二回目。講師の楊暁波先生(美人の中医師。だからどうってことでもありませんけどネ。)を、私をはじめ県内外の臨床獣医師と薬剤師、製薬会社の営業マンが囲み、夜遅くまで熱心なディスカッションが繰り広げられました。私などは、あの場では初学者の範疇で、提供する情報より、頂く情報のほうがずっと多かったのですが、楊先生も、経験豊富な獣医師諸兄も、それはそれは懇切丁寧にご教示くださる、実に得難い席でした。

学術的な話題も一段落したころ、中獣医学の経験が豊富な先生の一人が、対症療法中心の西洋医学にどっぷり慣れ親しんだオーナーさんに、漢方を軸にした中獣医学の美点を伝え、実際に治療として選択してもらうことの困難さについて、ご自身の経験を語り始められました。曰く、見掛けの症状に対する「キレ」が無いと、一般の人は治療自体を疑い始めたり、それでは「治らない」と判断してしまうことが多く、工業化学品である西洋薬にくらべ割高に見える漢方薬の価格(実際に割高なのではなく、割高だと誤解されているだけだと強調しておきます)と相俟って、漢方の良さというか福音に浴する段階までたどり着けるペットやペットオーナーが、しばしば少数派にとどまる現実を嘆いておられました。

ここで言う「キレ(切れ、で良いかも知れません)」とは、治療を受ける側が自覚できる「症状の軽減」が、目に見えて現れるようなものかどうかという視点。たとえば、ウイルス感染に伴う発熱に対して非ステロイド性解熱鎮痛剤を投与した場合や、アレルギー性の掻痒(かゆみ)に対してステロイド剤を投与した場合などは、それこそ見る見る不快症状が緩和されてゆくさまを目撃できますので、これらの症状に対する当該薬のキレは「極めてよい」とか「シャープだ」などと表現されます。

しかし、それは本当に手放しで喜んで良い展開なのでしょうか? 確かに、インフルエンザの高い熱のせいで睡眠や摂食にまで悪影響が出ている患者に解熱剤を投与すれば、とりあえず熱は下がるでしょうから、その時点においては患者を救済したと言ってもいいでしょう。問題は、それが「治った」と言える状態に結びつくかどうか。

解熱剤はインフルエンザのウイルスを退治してくれるわけではありません。ウイルスを退治できるのは、患者本人が持つ免疫的なシステムだけ。もし仮に、解熱剤によって高熱から解放されているうちに、裏で免疫システムがウイルスをやっつけてくれたなら、解熱剤の効果が切れた後も再度発熱する理由は無いわけですから、インフルエンザは「治った」ということになります。しかし、このパターンが成り立つには、いくつもの仮定というか、偶然とも言うべきタイミングの妙が存在しなくてはなりません。

たとえば、ウイルス感染時の発熱というのは、そもそも免疫システムがウイルスをやっつけるにあたり、体温が高い方が都合がいいから生じている面があります。その場合、ウイルスと免疫システムの戦いが始まった直後に無理やり解熱してしまうと、むしろウイルス側の思う壺ということにもなりかねません。つまり、解熱剤でラクしているうちに免疫システムが勝利するというシナリオが成り立つのは、解熱剤が投与される時点において、すでにあらかた勝負が付いて、ウイルスが劣勢になっている場合だけだといえます。勝負が付くよりも先に解熱剤が放り込まれると、免疫システム側はいきおい劣勢を強いられ、解熱剤の効果が切れてしまった途端、熱は一気に上がり始めるわ、追い出すはずだったウイルスが何食わぬ顔で体内に跋扈するわで、これを「治った」と感じる患者はいないということになってしまいます。

したがって、解熱剤が患者にもたらす福音というのは、「高熱の不快感を軽減してくれること」と、「あらかた勝負が付いた勝ち戦の終盤において、発熱による心身疲労の軽減を介していっそうの免疫力向上に寄与する可能性」あたりに集約されると見てもよさそうです。前者は解熱剤が有する「キレの良さ」によって実現自体は担保される場合が多いのですが、ウイルスの排除という本質的な部分では「治る」ことにどの程度寄与しているのか、はっきりしない面があります。他方、後者はと言えば、なにしろ解熱剤を投与するタイミングに依存するご利益ですから、患者本人にとっては運やめぐり合わせ次第で得られたり得られなかったりする不確かさが付いてまわります。

解熱剤というのは「キレが良い」のは確かなのですが、それでインフルエンザが「治る」かどうかは別の問題だということが何となく見えてきたでしょうか。多くの患者は「キレの良さ」を期待しがちですが、それが治ることとイコールだとは限らないと聞けば、冒頭で紹介した漢方の美点を患者(患畜)に伝える難しさを嘆く先生の視点もまた、何となく読めてくるのではないでしょうか。

インフルエンザにおける漢方治療というのは、基本的に患者の体が自力でウイルスをやっつける為に都合の良い体内環境を作り出すのが目的で、当座の不快感(熱が高くてしんどいなど)そのものを可及的速やかに消し去ることを直接の目的とはしない場合が多いのです。もちろん、不快症状の緩和自体が悪いわけではありませんので、可能な限りそれも目指してはいますが、不快症状の緩和のためなら場合によっては「治る」ことが遅くなっても仕方がないという解熱剤投与に見られる西洋医学的な哲学とは、根本的に相容れない治療理論だということは間違いありません。

インフルエンザに限っていえば、妙な薬を飲まず何もせずにおとなしく寝ていれば一週間。漢方使ってウイルスとの喧嘩に加勢すれば若干短縮の可能性。まずいタイミングで解熱剤投与して、治ったと錯覚してチョロチョロ動いてみたらまた熱がぶり返してさらにもう一週間。さあ、あなたならどうしますか? ときかれた時に、どうして「ハイ、解熱剤飲んでこじらせまーす!」なんて選択をする人が出てきてしまうかといえば、それはやはり「キレの良さ」が目をくらませるのでしょうと、冒頭の先生は嘆いておられるのでした。

「治る」ってどういうこと? 然らば「治す」ってどうすること?

この問いは、「漢方って、本当に効くんですかぁ?」という質問に答えることと表裏をなすのだと、私はよくオーナーさんにお話します。不快症状に対する即座の解消を「治す」ことだとすれば、漢方は期待薄ですから「効かない」ということに。しかし、たとえば体内に入り込んだインフルエンザのウイルスを撃退する作業が「治す」ことだとするなら、漢方は「結構よく効きますよ」といって差し支えないでしょう。少なくとも、インフルエンザ脳症との関連が強く疑われている上、ウイルスそのものに対してはむしろ増悪因子だとも考えられる解熱剤の投与よりは、漢方のほうが普通の意味で「効く」し、「治る」ための役に立ちそうですよね。

同様に、すでに投与の機を逸した患者にタミフルだのリレンザだのといった胡散臭い抗ウイルス剤や解熱鎮痛剤をどっさり処方する医者より、「休めと言う天のお告げだから、黙って静かに寝てなさい。」と助言する医者のほうが、「治す」ことに誠実だと言えなくもない気もしてきます。尤も、寝てなさいなんて言って薬も出さない医者など、直ちに経営問題を抱えるよう設計された公的健保制度の下、その医者の真価を見抜く力が利用者である患者の側にあるのかと問われれば、あまたのタミフル先生達ばかりを責める気にもなれない現実というのもありますが・・・。

翻って、動物の治療の場でも、「治る」ということの意味や定義が、獣医師とオーナーさんの間で正確に共有されていないために、適切と思われる治療が選択されたにもかかわらず、双方が期待するゴールにすんなりたどり着けないという場面に時折遭遇します。

それは何も漢方薬を用いた中医学的な治療に限ったことではなく、従来方式の西洋医学的対症療法が選択された場合であっても、治療が難航する原因になる仕組みは全く同様。一例を挙げますと、細菌感染を伴うと思われる疾病(皮膚炎でも、外耳炎でも、膀胱炎でも、何でもよい)の治療に際し、抗菌薬の投与が行われた場合に、同じパターンの失敗が散見されます。起炎菌(炎症の主因となっている病原菌)に対して有効な抗菌薬が選択されたにもかかわらず、最終的に起炎菌の排除に失敗するような場合、その最もありふれた原因の筆頭が「(抗菌薬の)不適切な投与法」でしょう。具体的には、十分な血中濃度が得られないような間引き投与や、十分な作用時間が得られないような早すぎる休薬は、医者が正しい処方をしたにもかかわらず、治療が首尾よく進まない決定的な原因となります。

「どうしてそんな飲ませ方をしたのですか?」「どうして相談も無くそんなに早く投与を中止したのですか?」と質問すると、決まって返ってくるのが「治ったと思ったんですよぉ・・・。」という答え。症状が消える(目立たなくなる)ことをもって「治る」と考えた結果、起炎菌が抗菌薬に抵抗性を持つきっかけを人工的に作り出してしまい(耐性菌の出現)、効いたはずの薬が使い物にならなくなってしまったとしたら、なんと無駄な経緯でしょうか。

ことほど左様に、「治る」の定義がしっかりしていないと、「治す」のがどんどん難しくなるというあたりの事情は、ご理解いただけたのではないかと思います。医者の方は「ちゃんと言うこと聞いてくれないんだから、もう・・・」と恨めしく思ってしまいがちですが、治療に着手する節目ごとに、このたびの「治る」とはどういう状態のことを想定するのか?について、オーナーさんの理解が確かなものになるよう説明責任を負っているのは他でもない医者自身なわけですから、文句など言っている場合ではありません。

こうした視点から「治る」ということを考えてゆきますと、万人が納得する「治った」状態への道のりがあまりに険しい場合(時間的な負担、経済的な負担、手間作業的な負担など、いろいろありうる)、獣医師とオーナーさんが「治る」のレベルを「相談して決める(事前に合意しておく)」という選択肢もでてきそうですが、この点についてはまた機会を改めたいと思います。

「治る」の内容をどういったものに設定するか。どんな状態になったら「治った」と見なすのか。

それによって、どんなタイプの治療をどれくらい投入して「治す」のかが決まるわけです。一口に医学と呼ばれる領域には、「治る」を定義する価値観というか哲学のようなものが存在し、たとえば西洋医学と、中医学を含む東洋医学とでは、拠って立つ哲学に相当な違いがあるのだという一例を、ご紹介させていただきました。

12月分の診療カレンダーを掲載しました。

まことに勝手ながら、例年同様中旬に冬季休診を頂きます。休み前の12日(木曜日)午前中は診療いたします。

また、1日(日曜)と8日(日曜)は学会参加のため外来休診です。

大晦日は、午前中診療いたします。

ご不便をおかけいたしますことをお詫び申し上げます。

院長のひとりごと」コーナーに、9月最終週末に参加してきた学会に関する随想(日本臨床獣医学フォーラム2013)を掲載しました。外来休んで、あの院長何してたんだ?と興味を持ってくださった方、ちょっと覗いてみていただけますと光栄に存じます。