あおぞら動物医院

漢方・中獣医学・宮城県岩沼市・0223-24-0672

院長のひとりごと(中世界)コーナーに、「戦後70年首相談話」を掲載しました。

賛否両論、様々な立場から批判がなされて然るべき内容ですが、好むと好まざるとによらず、安倍晋三首相のようなキワモノ・イロモノが出てきたこのタイミングで、今度こそ、議論を専門家任せにせず、国民一人ひとり、自分たちがこれからどう生きてゆくのかという基本的な問題として、当事者であることを自覚しなければならないと思います。さもなくば、後年、やはり結局日本人は70年経っても、安倍晋三のような狂言回しが立ち現れても、とうとう本気で生き方を決する議論を始めようとさえしなかったからこうなったのだ・・・的な歴史の批判にさらされる事になりそうで心配。最近にわかに評判が地に落ちつつある団塊ジュニアとしても、それはなんとしても避けなければならないなと・・・。

院長のひとりごと(中世界)コーナーに、「九電川内原発再稼動」を掲載しました。

私には受け入れ難いことですが、結局のところ、原発維持は国民の総意としておおむね支持されているようです。

国として、これ以上経済的に疲弊するような「無駄遣い」に耐えられる余裕を失っているにもかかわらず、地震による爆発事故の対策から目をそらし、安保法制を議論しながらテロの温床としての原発(世上言われているような、ミサイル攻撃などではなく、工作員を使った匿名性の高い方法で、文字通り、音もなく仕掛けられると想定すべきというのが軍事の世界の常識だそうです)に触れるわけでもないいい加減さ。

地震で確実に壊れるポンコツ原発をそのまま再稼動させた今度という今度は、どんな無様で悲惨な原発事故が起きても、立地自治体はじめ、被害者面できる国民はいないのだという覚悟が共有されているとは到底思えない点が、私には気がかりでもあり、不満でもあります。

院長のひとりごとコーナーに、「所沢市の『育休退園』問題ってさあ・・・」を掲載しました。

ストーカー殺人の被害者に「そんな男と関わった落ち度がある」とか、いじめ自殺者問題で加害者(児童生徒とその親)責任を一切すっ飛ばして「学校が悪い」とか、世間の相当数の人が首肯して巻き込まれているものの、よく考えたらその理屈におかしい点はありませんかね?的な論理の飛躍やすり替えが目に付く今日この頃。

標記の「育休取れたら、他の子も自分で世話しろよ」論をぶっているのが、同時期に待機児童を強いられている親だと聞けば、ちょっと待て、そりゃ論理のすり替えでしょう?と思うのですが。

しかも、たいていそういう論理のすり替えは、実は周到に計算のうえ用意された巧妙な屁理屈で、策を弄しているのは真の根本原因を作っているか、それに連座する立場にある人たちだったりするので、注意しないといけません。

院長のひとりごとコーナーに「安保法案ですが」を掲載しました。

安倍晋三首相は「戦争をするためではない。戦争を仕掛けられないための意思を示すことで抑止するのだ。」と述べています。そのこと自体にまるで反対の意見を持つ国民など、多くはないのではないでしょうか。問題は、本当にその目的のためにふさわしい、理にかなった安保法制なのかどうかという点です。

結論から言うと「それは違うでしょ?」と私は思います。安倍総理の進めようとしている新ルールを見ていると、時代劇のちゃんばらシーンを思い出します。

暴れん坊将軍では、腕の立つゴロツキ(にしちゃあ、誰が見ても二枚目過ぎますが)で通っていた男が実は将軍様だと判明したところで、悪役側は「もはやこれまで。ものどもこやつは将軍様を騙る不届き者だ。斬れ斬れ~!」と叫んでテーマ曲がスタートし、お約束の見せ場が始まります。しかし、何人、何十人の悪役側家来が控えていても、暴れん坊将軍様には正面から一人ずつしかかかってゆきません。一人ずつ、将軍様に切り殺されるのを見てから次の家来がかかってゆく。決して、後ろ側から切りつけたりしませんし、5人まとまって襲い掛かることもしません。これはもちろんスペクタクルとしての演出には相違ありませんが、実はそれだけでもない。日本人の美学的に「正々堂々」とか「卑怯な手では勝った事にならない」といったコンテクストがあるから、青臭い演出も万人に受け入れられるのではないでしょうか。

安倍晋三総裁の目指すところはといえば、この時代劇のお約束を前提としない限り、かえって日本本土の防衛を危うくする可能性が高いでしょう。日米安全保障条約に基づいて自衛隊を海外に派遣して、アメリカの侵略戦争の手伝いをしている間、平素にも増して兵力も重火器も心許なくなった本土や離島に、例えば中国共産党は何もして来ないものなのでしょうか。相手がポツンと一人でいたら、そこに正義や大儀があろうがなかろうが、あらん限りの物量を投入して、騙まし討ちにしてでもこてんぱんにやっつけるのが、アメリカをはじめとする白人の価値観であり、いつもその白人と価値を共有してきた中国の「正義」です。彼らに日本流の時代劇方式を納得させることは不可能であり、現行憲法の条文だけをただ堅持して(解釈改憲で内容は無いも同然)さえいれば、向こうは力に物を言わせてかかっては来ない、卑怯な騙まし討ちもして来ない・・・そんなわけはないでしょうと思うのです。

以上が、安倍晋三総裁は言行が一致しておらず、今後五十年の日本国民の命運を左右する重要事案について、白紙委任するに足る器量など到底備えていないと考えられる理由のひとつです。そして、こんな泥縄でことが進んでしまう最大の原因と責任は、比較検討の結果、どうやら「団塊ジュニア世代」においてもっとも罪深いらしいとの説が囁かれるようになって来ました。つまり、今40代の現役男女(特に子供がいるならなお深刻)が、今日まで重大な矛盾の棚上げを続けてきた事実なしに、安倍晋三ファミリーの「男のロマン劇場」暴走はありえなかったのだというのです。

「それって、全部おれのことじゃんね!?」

自民公明の強行採決の日、さすがにやばいかなと青ざめたという話です。

《サーバー会社データクラッシュの一件の後始末がいまだ完了せず、お知らせメールの設定や送信条件がめちゃくちゃになり、管理者が意図したとおりに運用できていません。予期せず、入稿原稿そのものが登録者様のメールに配信されてしまったり、ご迷惑をおかけしております。専門家に依頼して鋭意修復作業中ですので、今しばらくご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。》

今週末は衆議院選挙ということで、いまさらどうってこともないのですが、「院長のひとりごと」コーナー中世界カテゴリー)に恨み節「選挙だけれど・・・」を掲載しました。何を基準に、どこの誰を選んだらいいのか? はたまた、そもそも選挙に行く意味があるのかどうか? 無関心や棄権が民主主義を根っこから腐らせて行くことは、一般論としては分かるけど、だからと言って出鱈目に投票さえすればいいはずもないことも明らか。この場合、どうしたものでしょうか?

ここでは、「政党は支持者・支持母体に都合のいい政治をするもの」だから、有権者は「自分にとって有利な、都合のいい政策を実現してくれるのは誰(どこ)か?」を考えれば良いのであって、勝ち馬に乗ったからと言って選挙後自分も勝ち組になれるわけでは断じてないという原点に返って、面白くもないけど、どうするか考えてみたいと思いました。

文句だけ言いっぱなしというのもなんなので(笑)、自分なりに五つ論点を選び、整理してみました。読む方の年齢や立場によっては怒りを買いそうな内容ばかりですが、まあ、そういう考えの奴も世の中にはいるのだなと思っていただけるおおらかな方、お暇でしたらご覧になってください。

①消費増税問題 、②集団的自衛権の閣議決定問題 、③原発再稼動問題 、④少子化問題 、⑤アベノミクスはどうなのよ?