原発まだやるって、本気なの?

北京研修に向かうため、仙台発成田行きの全日空機に乗ったときのこと。

例によって半分ぐらいしか席の埋まらないB737-700(過大な機材。これでは仙台から成田や関空といった海外へ出るハブ空港への減便リスク大。皆さん、路線運休で陸の孤島の憂き目を見る前に、なるべく仙台発着の同路線に乗ってあげてましょう!)は、仙台を離陸後太平洋上を南下。

「おおっ!これはもしかして・・・。」

と一人興奮を抑え切れない私。その昔、日本にはリスクなんてものは存在しないんだとみんなが安心して暮らしていた3・11以前、仙台成田間の航空機はたいてい「例の」世界的に著名な施設の上空を飛んでいたらしいと聞いた時には、なんて恐ろしい(毎日飛んだら、一定の確率で墜落しうるわけですから)と思ったもの。

当然、「例の」施設が爆発デビューしてから後は、すべて迂回ルートか内陸上空を飛んでいたわけですが、航空ファンの雑誌か何かで、最近また「例の」施設上空を通常航路として供用再開したらしいとの噂を聞きかじっていた矢先。窓の下には何にも無くなってしまった松川浦が見え、やがて原町火力が見え、町並みがまばらとなり、とうとう見えてきたのはほとんどろくに復旧していない三角州地帯。間違いない、浪江町だ。

そして、とうとう夢にまで見そうだった(夢にまで見た、ではない)あの無残なお姿が下界に出現した。と、そのとき背後で、

「お客様、お客様。お飲み物はいかがなさいますか?」

こんな短い路線でも、とにかく何かお客さんに流し込まなくてはというのが国内航空会社。窓に顔を押し付け、阿呆のように口を開いたまま機体の真下を覗き込む中年オヤジに、客室乗務員が何か飲めと言ってくれていたわけである。りんごジュースを頼むと同時に、窓の下を指差して客室乗務員の顔を見つめたところ、意味深なまなざしと共に大きく「ウン、ウン」と頷き返してくれた。

間違いなく、かの有名な東電福島第一原発の惨状ですよと。

何といっても私が驚いたのは、眼下に見える原発施設の小さいの何のってこと! テレビで見る原発俯瞰図は民間旅客機よりはるかに低い高度から撮影してていたらしい。とにかく、あれほどの事故を起こし、周辺住民の生活を途絶させ、撒き散らした死の灰で世界を震撼させたフクイチが、海辺に張られた運動会用のテントぐらいにしか見えないという光景に、あらためて、原発なんてとてもじゃないが割に合わないと思った。あんなちっぽけな箱物のせいで、その前近代的な完成度の低さゆえに、国論を二分するほどの議論をしてまで、「負け戦」をやめようとしない推進論者の厚顔には、あらためて恐れ入る次第である。

国論を二分といったものの、普通に実態を知らされ、原発をやめると困るのは国民でも国家の将来でもなく、それにぶら下がって楽をすることに別れを告げる覚悟がまだ出来ていない人たちと、関連利権でいい思いをしてきた役人の面子を保てなくなる人たちだけだと分かれば、国論は二分などしようもない。

「そんなあ・・・じゃあ、なんで原発を死に物狂いで増やしてきたの?」

といった類の、いまさらそもそも論系の疑問が国中から吹き上がるだけ。原発の利権は巨大かつ幅広いため、従前その恩恵にあずかってきた人というのは巷間言われているとおり、極めて広汎かつ多数存在するわけだが、その多くは原発が駄目になったらなったで他の儲け口へと乗り換え可能な場合が大多数。もともと自立できないところへ交付金でシャブ漬けにされた立地自治体の支援(廃炉で十分食える)さえ実施すれば、廃炉着手によって生活が脅かされる人など皆無に等しい。

電気料金高騰だの、貿易収支悪化などといった本当に人を小馬鹿にした出鱈目に騙される方もそろそろ結果責任を自覚したほうが良い。普通に考えればよいだけのこと。向こう30年やそこらの間は、石炭及び天然ガスの火力の増設と効率化技術の磨き上げで、堂々と過ごせばよい。温室効果ガスの真偽について触れる以前に、地球の歴史というスケールに比して、数十年単位での炭酸ガス余剰排出がいったい何ほどの影響を与えうるのか?という視点を、国民一人ひとりが理解できる基礎学力なり常識を身に付けることの方が、日本の将来にわたる発展のためにはるかに重要である。

北京へ出向いて改めて痛感したが、現実逃避の負け犬系ヘタレ保守の皆さんが期待する如く、中国の経済バブルが崩壊することで再びかの国の国力が、日本のそれよりはるか下に転落する等という現象は、残念ながらまず実現のあてのない幻想、妄想である。巨大な人口に裏付けられた実需がある以上、経済バブル化や人権蹂躙、一党独裁などの悪弊を孕みながらも、結論としては「中国を止められる人も物もない」という前提で、全ての判断を重ねてゆくのがマトモな戦略だろう。顔かたちはそっくりでも、全く別の文化と歴史を持った外国人。青い目の白人と対面するときと全く同じ心積もりで中国人と向き合うべき所、外見的相似に引きづられて見当違いな期待を抱いたりするもんだから、話がおかしくなるだけのこと。

何が言いたいか。中国はどんどん化石燃料で発電して付加価値を生み出し、ますます金持ちになってゆく。その隣で日本が採算度外視のオンボロ原発を回しつつ、節電節約を国民に強いて富を収奪し生産性を低下させてゆけば間違いなく貧乏になってゆく。

貧乏人は金持ちにいじめられ、やがて乗っ取られるもの。これは古今東西を問わず、歴史が証明する事実。物量で適わぬ相手に向かって軍備強化して威勢のいいことを言ったところで、負けるときの傷を深くするだけ。正面切っての喧嘩にならないように全ての国家的経営資源を集中するのみ。その最も重要な点が、まさに「日本が貧乏にならないこと」である。

前時代の遺物である原発を回すという大仕掛けによって、実は発電そのものが大事なのではなく、創造性も発展性も生み出す気のない者たちを無駄に潤わせ養い続けられる点こそが原発の存在価値。しかし、いまや日本にはそんなピン撥ねを吸収する余力もなくなったわけだし、恵まれすぎていた時代は既に過ぎ去ったという現実に基いて、何事も考えなければならない。工業プラントとしても効率が悪すぎる原発なんかに構っていられる余裕など、もう日本にはない。

足下、都知事選で原発を争点にしようという向きと、どうにかそこから衆目をそらしたい向きとがせめぎあっている様だが、電力を人一倍消費する一方で、嫌悪施設である原発の立地はおろか、使用済み核燃料の受け入れにさえ知らぬ顔の半兵衛を決め込む東京にとって、原発が中心的争点であることなど当たり前のことである。時代錯誤の原発推進で、それでもなお受ける利益ばかりが突出する自治体が、「原発は国策問題なので都知事は関知しません。」などと屁理屈をこねる輩も多いというから、呆れた話である。

振り返って、わが郷土においても、地震動でプラントの基幹部分が思いっきりブッ壊れ、メートル単位で水平垂直両方向で地盤が沈下・移動してしまい、仕上げに津波で塩水漬けにされてしまった女川原発が、再稼動のための審査に入っている。事故車のエアバッグが一見きれいだから畳んでもう一度使いましょうとか、火災現場の焼け残りであまり焦げていないスプリンクラや消火器が見つかったのでよく掃除して再利用しましょうだのといった発想で、何と本気で原発プラントを「再生」しましょうというのだから、常識ではもちろん理解不能。

しかし、目下再稼動を目指している原発は、単純に税法上の耐用年数の残存期間で「計算上は」償却が可能であるものだけを選択し、電力会社としては廃炉(除却と積み立て不足)による巨額の特損計上(による債務超過、そして上場廃止)を回避したいだけの話なので、再稼動を目指している側からすれば実に論理的かつ合理的な行動。

だから、女川は地震に耐えて素晴らしいとIAEAから褒められました!などと臆面も無くたわごとを吹聴しながらも、かくも素晴らしい同原発の一号炉を再稼動させようという話にはおそらくならないわけである。

活断層直上で、もう諦めるしかない東通一号炉も、新しくて全然償却が済んでないから死に物狂いでとりあえず再稼動に名乗り。東通はもともとがむつ小川原開発という壮大なペテンの成れの果てで、「下北原発10基新設」のうち唯一実現した商業炉でもあるので、思い入れも強かろう。しかし、電気事業者のノスタルジーや浪花節で既存不適格の駄目原発を動かされてはたまらない。

同様の理由から、追加の耐震・耐津波工事をギリギリけちって(或いはしないで)審査さえ通すことが出来れば、何とか机上の採算が確保される見通しだと言い張れそうな伊方、玄海、川内、泊あたりを何とか再稼動に持ち込もうとか、ゾンビ東電をゾンビじゃないと強弁するためには他に方法が無いうえ震災前からの事故続きで積み上がった巨額の引き当て不足もまた打つ手なしの柏崎刈羽もいっちゃいましょうとか、もひとつおまけに民主党が動かした関電大飯をいまさら止める論理的整合性もないのでこれも動かしちゃいましょうとか、一つ一つを見てゆくと、彼らなりにはっきりとした分かりやすい動機がちゃんとある。

挙げればこの手の話は延々続く。どれもこれも、潔さとか、負けの美学とか、言うなれば古来日本のもっとも得意とする美意識とは対極をなす、幼稚で場当たり的でほとんど妄想としか言いようがない馬鹿げた理屈で目指す原発再稼動を、いかにして国民にもっともな事だと信じ込ませられるだろうかという苦心こそが、事故後三年になろうという今日にいたるまでの政府と電気事業連合会サイドの言動の全て。そう聞けば、さすがのお人好し諸兄の原発信心も、そろそろ怪しくなってしかるべきだと思うのだが。

都知事選で、どんな答えが出てくるのだろう。そこで、新聞の正しい読み方を一つご紹介。

「舛添リード、細川と宇都宮が追う」

これがいつもの作戦である。人間というのは、勝ち馬に乗りたいものだという心理をしっかり押さえたもの。細川と宇都宮が接戦なら票が割れて負けそうだ。だったら舛添に乗って・・・となるように人心を誘導する。

ところが、実は細川が断然優勢だとなると、原発反対派は宇都宮に死に票を入れるのをためらうので、事実上細川に一本化されてしまい、どっちつかずを装う蝙蝠型推進派である舛添をも負かしてしまう。これだけは、原発推進側として是が非でも避けたい。だから、

「舛添リード、細川と宇都宮が追う」

という、このワンパターン分析だけがサンケイから毎日まで、どれを開いても載っている。ちゃんと理由があるわけである。

とまあ、ご覧の通り、何にせよ挙げればキリがない。どこから切っても、どこから覗いても、出てくる理屈はみな同じ。徹頭徹尾、人を小馬鹿にしている。それが、この期に及んでも原発やめられない病というものである。

早く目を覚まし、火力発電で付加価値を創造し、貧乏にならないよう全力投球する。さもなくば、金持ちになった隣人に向こう何十年間にも渡り、とことんいじめ抜かれる運命にあるのが、日本の置かれた現実だろう。

 

 

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