あおぞら動物医院

漢方・中獣医学・宮城県岩沼市・0223-24-0672

11月 26th, 2013

漢方と占い

小世界, by aozora.

ここ数年来、西洋医学的な対症療法に矛盾を感じることが多くなり、「科学的に正しい」はずなのに、依頼者(ペットのオーナー)にも施術者(獣医師)にもなんだか釈然としない結末がもたらされることが多いのは、一体どういうわけなのか?という思いにしばしば苛まれてきた。

実際にというか、普通の意味で「治った」と思えるような、もっとマシな治療法というのはないのだろうか。そんな思いを抱きつつ視線を泳がせた先で目に留まったのが、いわゆる「代替医療」と呼ばれる、極めて雑多な(ときに怪しげな)治療法の数々。それまではマトモに取りあうべき対象ですらないと思っていたような一群の療法に興味が向くようになったのが、5~6年前だろうか。

ちょうど新しい診療所を建てるための準備に奔走していた頃で、とにかく当時、私自身が年がら年中体調不良に悩まされていた。今にして思えば至極当然の流れなのだが、心が軟弱でストレス耐性に乏しい私にとって、迫り来る大借金の重圧も、それに備えるためと称してなりふり構わず仕事を請けていた過労の常態化も、22時のスーパー閉店に間に合わなくて連日コンビニ弁当ばかりの食生活も、やることなすこと何もかもが私の体調を蝕む方向に右向け右の状態だった。

にもかかわらず、それが自分の生き方や生活スタイルに主たる原因がある「生活習慣病」だとの自覚は全く無く、本来自明とも言うべき体調不良の原因に思慮が及ぶよりずっと手前で、「ああもう駄目だ、人生の楽しみを云々する以前に、ある朝犬舎で心不全か脳卒中で死んでるのを発見されるのが俺の最期かぁ」的な救いようのない悲愴感だけをあたりに撒き散らしていた。四六時中それに付き合わされた妻も、診療所のスタッフも、私の毒に晒されてジリジリと心身の健康を害しつつあった。もはや医者の不養生などという表現では、その悪質さの三分の一も表現し得ないような、深い闇の真っ只中にいたように思う。

それでも本質的にはしぶとい体質だったと見えて、実際に病に倒れて長期間寝込むようなこともなく、それゆえ、何とかもう少し楽に朗らかな毎日を送れないものかと、多少有益そうな思慮を持ち始めてから出会ったのが上述した代替医療の数々。まずは自分やその周囲に人体実験を敢行し、なにがしかの手ごたえを感じたものについて事後的に、想定される作用機序の研究を加速させるという作業の繰り返しで、取捨選択。やがて動物の診療における有効性の評価や適応の有無を探る段階へと進めて行く中から、実際の診療業務における治療オプションの幅を少しずつ広げてゆく・・・それが今日に至る、そして、これからも続くであろう当院のスタイルに。

中でも人体、動物を問わず、明確な手ごたえに恵まれる機会の多い療法の一つが漢方である。先だって別の文章(あおぞら講話)でも言及したが、漢方の「キレの良さ」がしばしば西洋医学における化学工業薬のそれを凌駕することは、今現在の私にもいまだ新鮮な驚きをもたらす。

何でこんなに効くのか?

単純明快なこの疑問こそ、わが寝ぼけアタマにとって多分一番実効性のある起爆剤となる公算が大きい。本物のアカデミズムでは、目の前に存在する類似の療法に対して、網羅的にその基礎となる理論を明らかにし、ボトムアップ式に応用や臨床適用へと上ってゆくべき局面。しかし、根がものぐさで、それなりに雑事に忙殺される開業獣医師にあっては、その手の完全主義はほぼ全て道半ばにして立ち消えとなる宿命を背負っているから、目立つものから、あるいは結果が優れていることを先に実証してから、遡及的に原理や理論といった基礎的な部分に光を当てる合理化(手抜き)が不可欠であると、常々私は弁解して回っている。

ともあれ、漢方がなぜそんなに効くのかという問いに対する答えのうち、おおむね基礎や基本に属すると思われる原理ないし理論が、いわゆる陰陽学説であり、五行学説であると知ったのは、実は比較的最近のことであった。そして、陰陽も五行も、近代学問(サイエンス)的なジャンル分けに従えば、医学や生理学ではなく、哲学に属するということを知って驚いたのは、さらにもっと最近のことである。その不勉強を笑われても、私は特に返すべき言葉を持ち合わせないことをあらかじめ白状しておきたい。

陰陽学説、五行学説といえば、古の天文学から導出された人生哲学の一種であり、それが統計的な有意差をもって人間の命運に関する蓋然性をはじき出すに違いないという着眼から生み出されたのが、四柱推命やその派生である算命学、あるいは易経などとして知られる「占い」であることは、くだんの漢方療法とのかかわりよりもむしろ有名なのではないか。

陰陽五行のほんの一側面を切り出したに過ぎない、同学説の生体への適用が漢方奏効の源であるとするなら、上記の占いが漢方奏効の歩留まりを上回る可能性を本気で期待したとしても、それをもって直ちに気が狂ったと見なされてしかるべき論拠にはならないはずである(少なくとも論理的には、そうなる)。

2000年だか5000年だかの文明の歴史において、地球上で観察される万物の中で、ほとんど一貫して「変わらなかった」であろう数少ない事例の代表が、夜空を仰ぎ見た際の「星の動き」であろう。他のもので、千年単位の時を経ても姿かたちや性情を変えずにいたものなど、ちょっと思い当たらないような気がする。だから万年単位で厳格な管理が必要な核のゴミを積み増す原発再稼動など、民族の決意としてわが町・首都東京の地中400メートルで預かりましょうという気概も覚悟もないこの国では、経済合理性のかけらもない無責任な暴挙に過ぎないからやめた方がいいと言い出した軽口劇場型首相経験者の御仁もいたりする。

日々少しずつ、しかし一定の規則性を持って動いてゆく星の光を時間軸発生装置time-base generatorにして、各時点ごとに人や自然がどんな有りようを示したのか、ひたすらに積み上げてみたら、なんとそこにも漠としたパターンが見えて来たではないか!というのが、どうやら占いの始まりらしい。

漢方が効くなら、四柱推命がまるで頓珍漢な妄想虚言の集大成であるはずも無かろう・・・そんな気がしてきた今日この頃である。そして、手応えを感じたり、目立ったものから順に、人体実験を敢行し、実証試験ならしめるよう動き出すのが、あおぞら動物医院方式だとすれば、次なる作業はただ一つ。

「今度自分で占いに行ってみよう!」

人間は、その準備が出来たところに首尾よくきっかけさえ生じれば、ちょっと前まで有り得なかったような思考パターンの革命的変更をやってのけることがある。たとえものぐさで心が軟弱でストレス耐性に欠ける開業獣医師であっても・・・とまで言って良いかどうかは分からないが。

 

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Responses to “漢方と占い”

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