新型肺炎に思う(2月の中医研)【後編】

 
 
続いて各論的、個別的な問題として、ここに至るまでの間、医療者が社会一般に向けて、どのような言説を展開してきたのかに関する「経緯」を振り返る必要もありましょう。
 
感染したウイルスを排除する直接的な解決法など存在しないという「科学的事実」を自分たちは知りながら、本当は何も出来ないにもかかわらず、毎年インフルエンザが流行し始めるたび、判で押したように「早めの受診を!」と言い続けてきました。
 
具合の悪い患者やその家族が、多大なる犠牲を払って「早めに受診する」と、誰にとって、どのような便益があるのか。それは本当に公共の利益に資するものなのかといった核心部分について、大多数の医療者はほとんど説明もしませんでした。これでは、仮にそれが善意の発言であったとしても、専門家として不誠実に過ぎはしないかと思うのです。
 
ウイルス性の感冒は、例外なく宿主(ウイルスにやられるヒト)の側の基礎体力や免疫的な堅牢性によって、感染したり、感染しなかったりするものであり、運悪く感染してしまった後で街の開業医に「早めに」駆け込んだところで、直ちにヒトの体からウイルスを排除できる可能性はありません。
 
タミフルやリレンザといった薬が、さも特効薬のように喧伝されていますが、それも学問的な事実とはだいぶ隔たりがあります。細菌が合成抗菌薬(俗に抗生剤と言われるもの)によって、みるみる一網打尽にされるような現象は、ウイルスに対する抗ウイルス薬の作用として、今のところ実現できてはおりません。
 
にもかかわらず、インフルエンザ(などのウイルス性市中感染症)は街のクリニックに駆け込めば、薬で追い払ってもらえるものだと誤解する人が多いのは、降っても晴れてもそう思わせるような言説を繰り返してきた医療者に重大な責任があるとみるのが自然です。
 
科学的事実として、インフルエンザの患者を、患者自身の免疫的な機序「以外の」方法で治癒に導く特異的な治療法がないにもかかわらず、テレビも新聞もみんなが言っていることだし、患者を病院に早く来させることは常に正しいと結論付ける医療者が圧倒的に多い状況を目の当たりにするとき、私個人の印象としては、その動機には不審の目を向けざるを得ないと感じてきました。
 
そして今回、新型コロナウイルス騒動が拡大する中で、あろうことか「熱が出ても4~5日続くまでは街の開業医へ受診しないでください」という話になったのを見て、かねて抱いてきた私の不審の念は、ある種「確信」めいたものとなってしまいました。
 
中医学をはじめとする伝統医学的には、特定の漢方薬がウイルスを狙い撃ち的に叩きのめしてくれる・・・といった発想が、元から存在しません。
 
ウイルスにやられたヒトの身体が、いかにしてウイルスとの戦いに勝利するか、その戦いを援護射撃するにはどんな方法論を選択すべきかが議論の中核で、戦う主体はクスリではなく、あくまで「ヒトの身体」なのです。
 
いま問題になっているコロナウイルスによる新型肺炎を例にとっても、まず表熱として感染が成立し、やがて病邪が裏に入り肺熱となり・・・といった類型化から治療戦略を立て始めますので、たとえ病原ウイルスが前例のない「新型」であったとしても、治療立案において決定的な障害とはならない場合も少なくありません。
 
現在、中国の国家衛生健康委員会が発出している「新型冠状病毒感染的肺炎診療方案(5th edition)」においても、寒湿鬱肺の初期、疫毒閉肺の中期、内閉解脱の重症期、そして肺脾気虚の回復期・・・という風にステージごとに弁証し、それに沿って定石に従った治療を徹底することを求めており、コロナウイルスがこれからどんな変異を示すかといった不確実性に眩惑されることなく、治療が進められることが分かります。
 
人類の進化の歴史というのは、かつて遭遇したことのない「新型」の病原体との戦いの中で鍛えられ、時に双利的な様相をすら呈しながら、営々と築き上げられてきました。その世界観においては、「既に知ってる相手としか戦えませんので…」などという治療家は、自動的に淘汰されます。
 
仮に昔の世界のどこかに、自分は何の治療法も思いつきませんと患者に告白するのは嫌だからと、出来もしないことを出来ると言い募ったり、ありもしない治療薬をあると言い続けることで、どうにか医家として生き永らえようと目論む不心得な藪医者がいたとしても、中医学をはじめとする伝統医学が積み上げてきた数百年という歴史はあまりに長く、嘘をつき通すのが原理的に不可能なのです。このことが、伝統医学の分野において、非常に有効な自浄作用を発揮してきたとも言われます。
 
翻って、現代医学と呼ばれる世界にあっても、事実に基づかない、ご都合主義の詭弁を呈する医療者が「ほんの一時期」まかり通ったとしても、そこには時間的な限界がありそうなことは、おぼろげながらも見えて参ります。
 
現代医学と同義に見なされる西洋医学も、相応の歴史を経て今日に至っています。真に人々の人生を明るくするための学問として、病める人々に奉仕する日が間近に迫っていることを信じたい局面です。
 
いまなお、データとして世界各国から報告されてくる新型コロナウイルス感染症の(季節性インフルエンザと較べて必ずしも危険性が高いとは考えづらい)一般的な予後と、民族滅亡の恐怖に動転しているのかと思いたくなるような日本政府や厚労省の政策的狼狽との間に存在する、埋めがたいギャップの方にこそ、不安を感じる今日この頃。
 
「世の中、一体どうなっちゃってるんだろうねぇ?」としか言いようがないと締めくくられた中医研例会でした。

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