医療過疎は医学部新設で解消?

仙台厚生病院が医学部開設を目指している件は、震災で一時かき消されていた感もあったが、

自民党の政権復帰で再び動き出す気配があるという。

東北に医学部新設で医師不足解消

対米隷属&アジア蔑視の修正主義者で、まあ大半の見解において私の嫌悪感を強くかき立てて下さる

桜井よしこサンのサイトでも紹介されている。

 

東北の、特に津波でやられた沿岸部や、内陸の山間部における医療崩壊は既に受忍限度を超えており、

それゆえに新たな定住者を遠ざけもするし、絶対数の不足による残った医師の激務は離職や転出を加速

させる。文字通りの悪循環である。

 

しかし、これは何も大地震が来てからそうなったわけでもなんでもない。前からずっとそうだった。

大地震や原発爆発という逆境により、それが無ければあと10年とか20年とかかけて徐々に進行するはず

だった「歓迎されざる変化」が、予想外の猛スピードで表出してきたと見るのが、妥当ではないか。

 

桜井氏のサイトでも言及されているが、医者ともあろう人種が、自らの子供の教育に明らかに不利となる

ような環境に住み続けるなど、どう考えても不自然である。本人が義理に厚く、使命感が強くて、医療過疎地

を見捨てられなかったとしても、それで家族の理解が得られるのかどうかを考えれば、現状は至極当然の

結果だと言える。

 

多くの場合(というのは、一人の例外も無くとまではいえないが、の意)、医者はその職能を身に付けるまでに、

平均的な人間の何倍もの時間と労力をかけており、人により程度の差はあれ、様々な犠牲と引き換えに

高度な専門性を手に入れている。にもかかわらず、個としての人生を捨てるしかないような激務の中、

尊敬どころか二言目には「医者なんだから当たり前」と無理無体を要求され、家に帰って家族と過ごす時間も

ろくに無いまま、就学期を迎えた子供の教育問題が重くのしかかる・・・というのでは、やはり割に合わないと

考えるのが自然ではないか。

 

他方、比較的医者の数が多く、二次診療施設にもアクセスが良いような地域では、医者の側も本来の

職能から考えて、「そんなんでいいのか?」と首を傾げたくなるような業務で日銭を積み上げているように

しか見えない人も少なくない。本来、公的保険の扶助によるべきでは無いと思われるような受診が大半を

占める現状は、元はと言えば受診する側の間違った考え(コンビニ受診、待合室コミュニティ目当て受診

などバリエーション豊富。医療以外の受け皿が必要なところを、全部開業医が引き受けている類)に

起始するので、「患者が望むことだから」という方便が立てやすく、患者医者共同で医療をゆがめるという

構図もあったりする。

 

医学部を新設して、定員の一部に僻地赴任の義務を課すというのは、まさに自治医大方式である。

しかも、自治医大のように卒業生を一人ぽつねんと田舎に送り届けるのではなく、三人一組で、

特に若い医者に頑張って貰おうというアイデアは、示唆に富む。

 

しかし、それならなぜ一県一医大政策で全国に開設済みの医学部で、それをしないのかということを

考えざるを得まい。もちろん、それが絶望的だから、厚生病院が自前でやろうという話になったものと

容易に想像できる。なぜ、当たり前の改革が出来ないのかを考えずに、医療過疎の問題は解消でき

ないに違いない。

 

いろいろ言われているが、素人なりにまず思いつくのは、医師の標榜診療科目別の配置に関して、

一定の制約を設けることを、もういい加減本気で考えたほうが良かろうということ。各々の需要は始めから

分かっている以上、医師の業務独占と高い公共性を考慮すれば、公的保険医は適正に配置される

のが望ましい。しかし、これこそが正に日本医師会が命がけで抵抗してきた部分の一つだから、

そう簡単には進まない。

 

仮に適正配置を公的権限で割り振り、人気の無いエリアと標榜科目に経済的インセンティヴを与えた

としても、ちょっとやそっとのそれではやはり「それでも嫌だ」という医者が多いであろうことは、すでに

実証済みでもある。医者も人間だから、という視点が欠落している限り、話は先に進むまい。上述した

教育や、家族にとって耐えられる限度内の利便性が確保されない限りは、医者も落ち着いていい仕事

など出来るはずがない。

 

現状では、日本で医者になるには本人の学力が優れているか、親の経済力が抜きん出ているか、

最低どちらかが必要で、いずれも都市部の子弟に有利な仕組みである。

何のことは無い。国土の均衡ある発展という大儀を捨てて、東京一極集中を良しとする限り、それに

付随する他のもろもろの問題と、ほぼ完全にセットで医療過疎問題は存在し続けるだろうという見通

しが透けてくるではないか。

 

「分厚い中間層」が必要不可欠なのは、なにも個人の所得に限ったことではない。地域間においても、

基本的に同様である。狭い狭いといわれる日本の国土ですら、危ない原発を押し付けられても、

それでとりあえず食えるから仕方ないかと思っている地方と、電気だけ送ってください、発電プラント

自体が抱えるリスクも、その結果生じるゴミも絶対に引き受けるつもりはありませんという東京。

この二つの差は救いがたく拡大を続け、中庸、中間という落とし所が殆ど見当たらなくなりつつある。

何事にも、バランスというものがある。両極端だけで、間が無いものというのは、必然的に不安定で

座りが悪いものだ。しかも、両極端はやがて行き着く先において似通ってくるのが常で、とうとう一致

した時をもって、全体が瓦解する。

 

弱体化する田舎と、一極集中で富の集積が進む東京。自然状態では、前者にとどまる医師よりも、

後者に住まうことを好ましいと考える医師の方が多くなるのは避け難い。医者にだけ、自然の摂理に

逆らえと言ってみたところで(強制してみたところで)、それで丸く収まるはずなど無い。

 

高い学費の償還義務で僻地勤務の縛りを効かせるというアイデア自体は、問題解決へのオプション

には違いないが、それだけで解決するぐらいなら、こんなことにはならなかったはず。ある地域に、

多くの人が住みたくない、住むのは難しいと思う事情や環境が存在する限り、平均以上の技能を

有する人達を安定的に居つかせることは容易では無いという、ごくごく当たり前の事実からしか、

解決の糸口は見出せないと思う。